ロシア政府によるウクライナ戦争のニュースを映像でみているせいか――
最近、自分が住んでいる街並みをみていて、
(ここだって、簡単に、ああなるんだろうな)
と思うようになりました。
つまり、
――外国から軍隊が攻め込んできて、砲撃などを浴びせれば、今こうして自分が住んでいる街の建物なども、ウクライナからの報道でみているように、簡単に壊され、崩され、瓦礫や死体の山と化すのであろう。
という予感です。
そのとき――
自分は、どうするべきなのか――
(今から考えておかなくては……)
と思うのです。
もちろん――
頑張って考えたからといって――
すぐに答えがみつかるわけでは決してありませんが――
……
……
自分の住んでいる街が砲撃にさらされる様子を思い浮かべることで――
一つだけ、わかった気がしたことがあります。
それは――
ウクライナからの報道で目にする人たちの涙の意味――廃墟の前に佇む人たちの目に浮かぶ涙に籠った情念――です。
――私たちが、いったい何をしたというのか。なぜ、こんなめに遭わなければならないというのか。
という思いであり、
――こんなめに遭うために、私たちは、きょうまで、ここで生き、ここに暮らしてきたのではない。
という思いです。
これほどの理不尽はありません。
天災なら――
あきらめもつきます。
が――
人災です。
戦災は人災です。
人災なら――
人と人とが集まって、誠意をもって話し合い、知恵を出し合えば、防げます。
それなのに――
なぜ、防げなかったのか――
……
……
自分の住んでいる街並みが滅茶苦茶にされ、どうしようもなく荒れ果てていて――
きのうまで朗らかに笑っていた人が、きょうは路上で動かなくなっている――
そんな惨状を目の当たりにしても、なお――
そう簡単には、あきらめはつかないと思うのです。
その割り切れなさが涙の滴となって――
頬をつたうのでしょう。