今回のロシア政府によるウクライナ戦争については、
――喧嘩両成敗
ではなく、
――暴力先成敗(ぼうりょくせんせいばい)
の発想が必要であろう――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
――喧嘩を始めたら両方とも成敗――
というのが、
――喧嘩両成敗
で、
――暴力に先に訴えたほうを成敗――
というのが、
――暴力先成敗
です。
念のために述べておきますと――
――暴力先成敗
という言葉は存在をしません――僕が適当に作りました。
……
……
個人間においても、国家間においても――
(喧嘩は大いに結構――でも、暴力だけはダメ――)
と僕は思っています。
つまり――
非暴力の喧嘩であれば、構わない――
むしろ、何が何でも喧嘩を避けようとするあまり、いいたいことをいわずに、ひたすらに我慢を続けるというのは、人の世においては、よくないことである――
と――
が――
暴力の喧嘩であれば、それは許されない――
むしろ、何が何でも暴力を避けようとして、あらゆる手立てを考え尽くすくらいのほうが、人の世においては、よいことである――
と――
なぜかといえば――
人は、ひとたび暴力に訴え始めたら、見境がなくなりやすいからです。
暴力というのは――
いったん行使をされてしまったら、簡単には歯止めがかからない――どんどん過激になっていく――
そして、気づいたときには、たいていの場合、取り返しのつかないことになっている。
それは、個人間においても、国家間においても、そうでしょう。
だからこそ――
個人も国家も、暴力に訴えてはいけないのです。
……
……
今回のロシア政府によるウクライナ戦争でも――
暴力には、まったく歯止めがかかっていませんね――日を追うごとに、どんどん過激になっている――少なくとも、報道をみる限りは、そのようにみえます。
このまま過激になっていくなら――
行き着く先は、
――核兵器の使用
に他なりません。
そうなる前に、どうやって暴力に歯止めをかけていくか――
人の叡智が問われています。