――どんな人にも生きる権利がある。
といいます。
そのことは、子供でも知っています――学校の社会の時間で習いますからね。
が――
「どんな人にも生きる権利がある」と胸を張っていうのは、そんなに簡単なことではありません。
その「どんな人にも」の中には、かなり込み入った矛盾が含まれているからです。
例えば、朝から晩まで酒を飲んで、仕事はせず、周囲の人々に迷惑をかけている――
そんな人にも「生きる権利」はあるのですね。
子供なら、容赦なく疑義を挟むはずです。
――どうして毎日お酒ばかり飲んで遊んでいる人にも生きる権利があるの?
と――
その疑義を克服しなければ、本来、「どんな人にも生きる権利がある」とは口にできないでしょう。
この克服は容易ではありません。
試しに――
子供に、
――どうして毎日お酒ばかり飲んで遊んでいる人にも生きる権利があるの?
と訊かれ、
――誰だって生きていたいからだよ。お酒ばかり飲んでいるオジさんだって、生きていたいからだよ。
と答えたとして、
――生きていたいんなら、お酒ばかり飲むをやめて働けばいいんだよ。それをしないんなら、生きていちゃいけないんだよ。
といわれたら――
ちょっと簡単には反論できませんよね。
「どんな人にも生きる権利がある」というときの「どんな人にも」の中には――
このような矛盾が含まれているのです。
この矛盾を理性で解くのは、そんなに難しくはないのかもしれません――人間や社会に対する十分な理解や知識がありさえすれば――
が――
感性で解くのは、かなり難しいでしょう。
「どんな人にも生きる権利がある」と胸を張っていえるようになるのは――
その矛盾を感性でも解いたときです。