マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「サヨナラだけが人生だ」

 ――サヨナラだけが人生だ。

 という言葉――
 誰しも一度くらいは触れたことがありますよね。

 僕は、小学生のときに――
 何かのマンガのギャグ・シーンの台詞として触れました。

 詳細は忘れましたが――
 主人公の男性が女性に振られて、おおぎょうに泣きながら立ち去るシーンであったと記憶しています。

「サヨナラだけが人生だ」の原典がわからなければ――
 いささか面白みに欠けるシーンでした。

 ……

 ……

「サヨナラだけが人生だ」は――
 大正・昭和の作家・井伏鱒二の言葉がもとになっています。

 中国・唐代の詩人・于武陵の作品に『勧酒』という五言絶句があり――
 この作品の4行目に井伏が当てた訳語こそ、

 ――「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 なのですね。

 于武陵の『勧酒』は、以下の通りです(本サイトの形式の都合上、横書きにしてあります)。

   勧君金屈卮
   満酌不須辞
   花発多風雨
   人生足別離

 これを書き下すと、

   君に勧む、金屈卮(きんくつし)
   満酌、辞するを須(もち)いず
   花、発(ひら)いて風雨、多し
   人生、別離、足る

 となります。

「金屈卮」とは、取っ手の曲がった黄金の杯を意味しているのだそうです。
 おそらくは“とっておきの杯”であったのでしょう。

「辞するを須いず」は、「遠慮することはない」の意味――
「花、発いて」は、「花が咲いて」の意味――
「足る」は、「満ち足りる」の意味です。

 よって、原典に忠実な現代語訳は――
 下記の通りです。

   君に勧める金屈卮
   満杯の酒を遠慮することはない
   花が咲けば風雨は多い
   人生、別離で満ち足りている

 これを井伏は――
 次のように意訳しました。

   コノサカズキヲ受ケテクレ
   ドウゾナミナミツガセテオクレ
   ハナニアラシノタトエモアルゾ
   「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 ……

 ……

 何といっても――
 4行目がすばらしいのですよね。

   人生足別離

 から、

   「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 への飛躍は――
 並の感性では無理でしょう。

 名訳とされるゆえんです。

 ただ――
 マル太は――
 僭越ながら、
(4行目の意訳がすばらしすぎて、1~3行目が物足りない)
 と感じています。

 具体的にいうと――
 2行目までは固すぎる――
 3行目は砕けすぎている――

 4行目の名調子に合わせて――
 1~3行目を何とか書き換えられないか――
 そう思って、マル太が考えた意訳は、以下の通りです。

   とっておきの杯だ
   遠慮をせずに飲んでくれ
   嵐が来ても花は咲く
   サヨナラだけが人生だ

 4行目の名調子を犠牲にすれば――
 以下の通り――

   とっておきの杯だ
   遠慮をせずに飲んでくれ
   花は咲いて嵐に散る
   人は生きて別れを知る

 僕は――
 このように訳したいと思っています。