マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「世を儚む」の覚悟

 四十路に入って、

 ――世を儚(はかな)む。

 の感慨を――
 しだいに無理なく実感できるようになってきました。

「世を儚む」とは、

 ――世の中の出来事の全ては、結局は空(むな)しくて、何をどのように頑張っても、そんなには報われない。

 といった感慨のことです。

 この感慨は、

 ――世を厭(いと)う。

 と似ていますが――
 似て非なるものです。

「世を厭う」とは、

 ――世を儚んだ結果、世を嫌うようになり、世の中の出来事の全てに関心を失い、場合によっては、死に急ぐ。

 という意味です。

 よって、世を厭っていれば世を儚んでいるはずですが――
 その逆は、必ずしも真とはいえない――
 ということになります。

 つまり、

  世を儚む → 死に急ぐ

 ではあるが、

  世を儚む = 死に急ぐ

 ではない――
 ということですね。

 いいかえるなら――
「世を儚む」とは――
 どんなに頑張っても、その報われ方に限度があることを認め――
 その限られた喜びを“良し”としつつ、何とか前向きに生きていこうと覚悟を決めること――
 です。

 人は、世を厭うことは、できる限り、しないほうが良いのですが――
 世を儚むことは、できる限り若いうちに、知っておくのが良いでしょう。