マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

昭和前期が異様なら

 昭和の時代を――
 昭和20年の太平洋戦争(大東亜戦争)の終結と昭和48年の第1次オイルショックの発生とで、前期・中期・後期に三分割しようとする場合に――

 昭和前期を指して、

 ――異常な時代であった。

 と主張される傾向は――
 今も根強くて――

 僕も、しばしば不用意に、

 ――昭和前期は日本史上、特段に異様な時代だった。

 と主張しがちなのですが――

 それでも――

 昭和前期の出来事の細微を――例えば、社会の事象の詳細な経緯や、それに関わった人物らの心情の機微、あるいは、それら人物同士の個々の関係性などを一つひとつ丁寧に追っていくと――

(実は、そんなに異様でもなかったんじゃないか)
 と感じられることがあります。

 昭和前期の時代の流れに――
 それ以降やそれ以前との断絶を強く意識することは――
 さほど容易ではありません。

 もちろん、安易に考えれば――
 少なくとも見かけ上は、断絶されているように思えなくもないのですが――

 あくまでも“見かけ上”であって――

 昭和前期の前後の時代を微に入り、細を穿ってみれば、
(根底は一緒だな)
 と感じます。

 2つだけ具体例を挙げれば――

 昭和16年に、当時の日本政府・軍首脳は、国力維持・増進に必要な資源を求めて対アメリカ戦争の開始を決断し、その決断に国民や軍の大多数は意気揚々と従いましたが――
 こうした経緯に似た出来事は、それ以後の時代にも――例えば、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”の憶測に踊らされた日本経済のバブル醸成として起こっているように思えますし――

 また――
 昭和20年に、4年前とは一部を除きすっかり顔ぶれを変えた日本政府・軍首脳が、天皇制の維持のみを求めて戦争終結武装解除を決断し、その決断に国民や軍の大多数は意気消沈で従いましたが――
 こうした経緯に似た出来事は、それ以前の時代にも――例えば、明治維新のときの江戸城無血開城として起こっていたように思えます。

 ということは――

 もし――
 昭和前期が特段に異様な時代であったのなら、

 ――日本史上の全ての時代が特段に異様であったのでは?

 と考える必要性が出てくるわけで……。

 もちろん――
 それは、

 ――平成の世の今も“特段に異様”である。

 ということを意味します。

 それを承知の上で――

 それでも――
 僕は、

 ――昭和前期は特段に異様な時代であった。

 と考えることを止められずにいます。

 それは――
 つまり、

 ――この国は、いつでも“特段に異様”なのではないか。

 と疑うことです。

 この疑いは――
 決して心地よいものではありません。

 が――
 たぶん、

 ――昭和前期だけが特段に異様な時代であった。

 と考えるよりは、いくらか慎重で安全であるように――
 僕には感じられます。