マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治政府の失敗を“文民統制”の視点で考えると……

 近代以降――

 軍事を握り続けるのに必要な知識や理解が膨大になったことから、

 ――政治と軍事とに関わる矛盾

 を隠すために、

 ――軍事の文民統制

 という思想が必要とされ始めた――

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――軍事の文民統制

 は、

 ――軍事の――

 を付さず、たんに、

 ――文民統制

 と、いわれるのが普通です。

 

 明治政府が文民統制を疎かにしたことは――

 しばしば指摘をされるところです。

 

 ――それゆえに、昭和前期の日本は勝てるはずのない太平洋戦争に突き進んでいったのだ。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 この指摘は、

 (少しズレている)

 と、僕は考えています。

 

 明治政府は、たしかに文民統制を疎かにしました。

 

 が――

 明治政府における、

 ――文民統制の軽視

 と、その後の、

 ――太平洋戦争の勃発

 とは、ただ相関をしていただけで――

 直接の因果関係はなかった、と――

 僕は考えています。

 

 明治政府が文民統制を疎かにしたのは――

 1月10日の『道草日記』で述べた通り、

 おそらくは、

 ――政治と軍事とに関わる矛盾

 に気を配れなかったからです。

 

 なぜを気を配れなかったかといえば――

 

 それは――

 1月9日の『道草日記』で述べた通り、

 明治政府は、

 ――軍事を握った者が政治を握ってきた。

 という歴史的経緯をあえて重くみなかったから――あるいは、重くみることができなかったから――でしょう。

 

 これらの結果として――

 後世、

 ――統帥権干犯問題

 などが生じ――

 日本は、やがて勝てるはずのない太平洋戦争へ突き進んでいった――

 その一方で――

 明治政府の政体――政治の体制――では、

 ――文民統制の軽視

 が顕在化をしていった――

 そういうことです。

 

 つまり――

 明治政府における、

 ――文民統制の軽視

 と、その後の、

 ――太平洋戦争の勃発

 とは根を同じくする問題であり、一つの問題の違った側面なのであって――

 

 ――文民統制の軽視

 という原因が、

 ――太平洋戦争の勃発

 という結果を生んだのではない、と――

 僕は考えています。

 

 ……

 

 ……

 

 明治政府の失敗は、

 ――文民統制

 の視点では考えないほうがよい、と――

 僕は感じています。

 

 無理に考えようとすると――

 かえって頭が混乱をするようです。