マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「春眠、暁を覚えず」の深読み(1)

 ――些細な色恋沙汰

 と思わせておいて――
 実は、

 ――壮大な人生ドラマ

 を歌っているとわかる――

 そんな仕方の詞の引用を――
 きのうの『道草日記』で、お勧めしましたが――

 こうした「些細な色恋沙汰→壮大な人生ドラマ」の“向き”の転換は――

 何でもない日常の詩を能動的に鑑賞しようとする際には――
 かなり効果的であろうと思っています。

 盛唐の詩人・孟浩然の『春暁』などは――
 その典型です。

 ――春眠、暁を覚えず

 の一節で有名な漢詩(五言絶句)ですね。

 ……

 ……

 孟浩然の『春暁』を――
 僕らになじみのある表記で書けば――
 以下のようになります。

  春眠不覚暁
  処処聞啼鳥
  夜来風雨声
  花落知多少

 これを書き下すと、

  春眠、暁を覚えず
  処処に啼鳥を聞く
  夜来、風雨の声
  花、落つることを知る多少

 です。

 意味は、

  春の眠りは、夜明けがわからない
  あちこちで鳥の啼くのが聴こえる
  昨夜は、風雨の音がした
  花は少なからず落ちたことだろう

 といったところです。

 ――この漢詩のどこに、“些細な色恋沙汰”が歌われているのか。

 と訝る向きは多いかと存じますが――

 とりあえず――
 ここでの「色恋沙汰」の「恋」は、人が対象の恋ではなく、

 ――花が対象の恋

 とお考え下さい(笑

 ……

 ……

 まあ――

 日常の些事を歌っていることに――
 とくに変わりはありませんよね。

 ……

 ……

 で――

 この些事が――
 僕には――
 天下国家の大事を暗示しているように思えてならないのです。

 その暗示は――
 もちろん、詩人・孟浩然が生きた盛唐の社会背景と不可分です。

 ……

 ……

 続きは――

 また、あすに――