マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「春眠、暁を覚えず」の深読み(2)

 中国の詩人・孟浩然が生きたのは――
 西暦でいうと――
 689年から740年です。

 ときの国号は「唐」で――
 700年代の前半に唐の国権は最盛期を迎えました。

 よって――
 この時代を、

 ――盛唐

 と称します。

 孟浩然が歴史の表舞台に顔を出すのは――
 この盛唐です。

 ときの皇帝・玄宗に仕えようと、科挙――当時の高級官吏採用試験――を受験しますが――
 落第します。

 が――
 詩作が巧みであることを認められ――
 詩人としても名高かった高級官吏たちの知己を得ました。

 彼らの伝手(つて)を用いて玄宗に仕えることもできたようですが――
 その頃には、孟浩然自身が宮仕えに興味を失っていたようです。

 玄宗に拝謁を許され、詩作を披露しますが――
 その詩に不平不満を書き込むものですから――
 当然、気に入られるわけがありません。

 もっとも――

 それを孟浩然が意図的にやったのか、それとも、うっかりやってしまったのかは――
 定かではないのですが――

 ……

 ……

 さて――

 ここで――
 孟浩然の『春暁』をもう一度みてみましょう。

  春眠不覚暁
  処処聞啼鳥
  夜来風雨声
  花落知多少

 書き下すと、

  春眠、暁を覚えず
  処処に啼鳥を聞く
  夜来、風雨の声
  花、落つることを知る多少

 で――
 意味は、

  春の眠りは、夜明けがわからない
  あちこちで鳥の啼くのが聴こえる
  昨夜は、風雨の音がした
  花は少なからず落ちたことだろう

 です。

 この詩を深読みする上で――
 僕の脳裏を離れないのは――

 この時代の唐が――
 積極的な対外政策をとっていたことです。

 国境を接する西方・北方の諸外国に対し――
 軍事的な圧力をかけています。

 歴史に名を残す戦いこそありませんが――
 それなりの戦禍が国境付近で巻き起こっていたに違いありません。

 『春暁』で歌われている「風雨」というのは――
 そうした戦禍のことではなかったか、と――
 僕は想像しています。

 そして、「花」というのは――
 それら戦禍で命を落とした若い将兵たちのことではなかったか、と――

 ……

 ……

 こうして考えてみると、

 ――春眠、暁を覚えず

 の「春眠」は、国境付近の戦禍をよそに、国都で泰平の世を謳歌しているさまであり――
 また、「暁を覚えず」というのは、そうした泰平の世が、いつ、どこで、どのようにしてもたらされているのかを自覚していないさまである――
 といえます。

 すなわち、

 ――私は今、こうして泰平の世を謳歌しているけれども、遠い国境では戦禍が巻き起こっている。そこでは、少なからず若い命が失われている。

 といった嘆息が――
 孟浩然の『春暁』では歌われている――
 ということになります。