マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

誰かを人形扱いにしている

 服飾とは不思議なもので――
 自分が、

 ――着たい。

 と思う服と、実際に着ているところを、

 ――見せたい。

 と思う服とは、たいていは一致するものですが――
 誰かに、

 ――着せたい。

 と思う服と、実際に着ているところを、

 ――見たい。

 と思う服とは、必ずしも一致しません。

 誰かに「着せたい!」と思っても、実際に着せてみたら、

 ――う~ん、失敗した。

 と思うことがあるのです。
 あるいは、着せるまでもなく、

 ――たぶん失敗だろう。

 と思うこともあります。

 この齟齬は、何に由来するのでしょうか。

 もちろん、すべてを一律に説明することはできませんが――
 おそらく――
 その齟齬の多くは、着せる相手を人間と見るか人形と見るかによっているでしょう。

 着せる相手を人形だと思って「着せたい!」と思い定め、やっぱり人間であったことを思い出して「失敗だ」と思い至る――
 そういうことではないかと思うのです。

 ということは――
 誰かに「着せたい!」と思う感覚というのは、あまりに表には出さないほうがいいのでしょうね。
 その「誰か」を人形扱いにしている、ということですから……(苦笑