マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「イエス」か「ノー」かは、ときには非常に重要

 対話では、

 ――イエス

 か、

 ――ノー

 かで答えることが――
 ときには非常に重要だと感じます。

 英語圏の討論などで、しばしば、誰かが誰かを、

 ――「イエス」か「ノー」かで答えろ!

 と問い詰めているシーンに出くわしますが――
 あれを、
(なんてデリカシーのない詰問なんだ)
 と切って捨てるのは、たやすいことです。

 そうではなくて――
 冷静に考えるべきは、なぜ「『イエス』か『ノー』かで答えろ!」と苛立つ人が出てくるのか、ということでしょう。

 それは――
 場合によっては、「イエス」か「ノー」かで答えないと、対話が停滞してしまうからです。

 対話を停滞させられるのが不快だから、苛立つのですね。

 その苛立ちには、一理あります。

 とはいえ――
 討論には、「イエス」か「ノー」かでは答えられない、あるいは、答えたくない局面というのが、必ず存在します。

 そのときは「イエス」か「ノー」かで答えるわけにはいかない――

 どうするか。

 簡単です――「イエス」か「ノー」かで答えることを明確に拒否することでしょう。

 ――「イエス」とも「ノー」ともいえない。

 と――

 この拒否を明示しないで言葉を継ぎ足すことは――
 対話を停滞させることにしか、つながらないと思うのです。