マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“当たり前”と思ったから書いたんだと思う

 ――そんな話、当たり前だから、わざわざブログになんか書くな。

 と批判されているブログを時々みかけます。

 きょうも、ちょっとネットで調べものをしていたら、みかけまして――

(う~む)
 と思いました。

(“当たり前”と思ったから書いたんだと思うんだけどな……)
 と――

 まず前提とするのが良いことは――

 自分が“当たり前”と思っていることが、他人にとっても“当たり前”とは限らない、ということですね。
 たいていは、ズレているものです――多かれ少なかれ――

 時には完全に行き違っていることさえある――

 ――え~! なんで、そんなことが行き違ってるの~?

 というくらいに――

 人の世では“当たり前”の行き違いほどに恐ろしいものはないと、僕は思うのです。

 なぜなら――
 例えば、Aさんの“当たり前”とBさんの“当たり前”とが真っ向から行き違っていたら――
 たぶんAさんとBさんとは、些細なキッカケで骨肉の争いを始めてしまいますよ――お互いに相手を“非常識だ!”などと激しく罵ってしまって――

 ですから――
 人は、誰かと向かい合っている時に――
 自分の“当たり前”と目の前の相手の“当たり前”とが、決して、そんなには行き違っていないということを、なるべく早い段階で把握しておく必要があるのです。

 そして――
 もし、けっこうな勢いで行き違っているらしいことがわかったら――

 とりあえず、相手に近づかない――お互いに相手に近づかない――
 それが理想だと思います。
 

 さもないと――
 いつか骨肉の争いに巻き込まれるか、骨肉の争いを引き起こしてしまうでしょう。

 そういう惨事を避けんがために――
 自分が“当たり前”と思っていることは、機会をみつけて、なるべく頻繁に明示しておく必要があるのです。

 あるいは――
 誰かが、そうやって明示しているのをみかけたら、

 ――ありがたい。

 と思って詳細に、その人の“当たり前”を把握する――

 その時に――
 それが自分の“当たり前”と行き違っているからといって、

 ――けしからん!

 と怒ったりする意味はないし――
 それが自分の“当たり前”とピッタリ重なっているからといって、

 ――くだらない!

 と怒ったりする必要はない――

 そういうことです。