おカネの話って――
なんで、あんなに引きつけられるんでしょうかね。
――お金持ちは高齢者に多く、そういう高齢者の多くは若年期に貧乏だった。
とか、
――年収の高低が大事なのではない。大事なのは年収に対する貯金の割合だ。
とか――
いずれも、
(どっかで聞いたことあるぞ)
とか、
(そりゃ、まあ、そうだろう)
とかと思う話ばかりなのに――
ひとたび“おカネの話”とわかっただけで、とりあえず聞き耳を立てたくなる――
なんだって、こんなにも気になるんでしょうか、おカネの話というヤツは!
……
……
たぶん――
世の中のおカネの流れは、すべての人が平等に関われるような気がするからでしょう――
もちろん、実際には、まったく平等ではないにもかかわらず――
世の中の全てのことには、運不運だけでなく、不公平があるに決まっているのですが――
それにもかかわらず――
おカネのことだけは、なぜか、なんとなく平等のように錯覚してしまう――
この錯覚の根源は何か――
たぶん――
おカネのもつ当たり前の性質――すなわち、普遍的な等価性――でしょう。
1000円には誰にとっても1000円の価値がある――
3000円には誰にとっても3000円の価値がある――
そういう意味での「等価性」です。
もし、1000円が人によって300円の価値になったり3000円の価値になったりすれば――
たぶん、ここまでおカネの話に引きつけられることはないように思います。