新聞を読む時間がとれず――
ちょっと困っています。
気がつくと、あっという間に2~3週間分はたまっている――
まあ――
一紙しかとっていなくて――
しかも――
朝刊だけしかとっていないので――
そんなにビックリするような量にはなりませんが――
それでも――
2~3週間分の新聞紙というのは――
なかなかの量なのですよ。
カゴの上に、うず高く積み上がります。
そんな“新聞紙の山”をみる度に、
(このネット時代に、いつまで新聞紙を広げるのか)
と自嘲気味に自問をするのです。
そもそも、ネットのニュース・サイトを毎日、頻繁に閲覧しているから――
新聞紙に手が伸びないわけで――
それなら、
――もう新聞なんか、とる必要ないじゃないか。
と思いそうなものですが――
1970年代生まれの僕は――
子どもの頃に頑張って新聞紙の広げる習慣を培った記憶が残っているものですから、
(そう簡単にはやめたくないな~)
という気持ち――貧乏根性みたいな気持ち――もあるのですね。
それで――
月に1~2回ほど、まとまった時間を作り――
過去の新聞紙を網羅的に見返すことにしているのですが――
……
……
以下は――
こんなふうに、ネットのニュースと新聞とを比べて考えていたときに――
ふと思いついたことです。
新聞紙は、読まなければ読まない分だけ、確実に溜まっていきますよね。
これに対し――
ネットのニュース・サイトは、読んでも読まなくても、どんどん書き替わっていきます。
よって――
自分が一度は見過ごした情報の量を把握しようと思ったら――
新聞紙は、ネットのニュース・サイトより、断然に簡単なのですね。
何といっても――
たまった“新聞紙の山”をただ見かえすだけで十分なので――
さらにいえば――
自分が一度は見過ごした情報の量だけでなく――
その質をも把握しようと思ったら――
新聞紙は思いのほか簡単です。
過去の新聞紙をほんの1週間分もとっておけば、
(あ~! オレは、こんな大事な情報をよく理解してなかったか。危ない、危ない)
とか、
(この情報、ぜんぜん知らなかったけど、知らないままでも、別に困らなかったな)
というように――
自分自身の情報の取捨選択センスを容易に確認することができます。
逆にいうと――
同じような確認をネットのニュース・サイトで試みると――
意外に煩雑なのです。
もちろん――
検索機能を駆使すれば――
特定のニュース・サイトに行く着くことはできますが――
過去のニュース・サイトを網羅的に見返すには――
なかなかに手間がかかるのです。
このことは――
ネットのニュースだけに頼っていたら、自分自身の情報の取捨選択センスを確認するチャンスに乏しくなることを意味します。
こちらの懸念のほうが、僕には胸に刺さりますね。
なぜなら――
ひとたび情報の取捨選択センスが損なわれると、あとが大変ですから――