マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“性の倒錯”の魅力は対称か

 ――セーラー服も白拍子も、“性の倒錯”が絡んでいる。

 といった主旨のことを――
 1月31日の『道草日記』で述べました。

 どちらも、“性の倒錯”がもたらす何らかの魅力によって、裏打ちされている――
 ということです。

 ……

 ……

 この“性の倒錯”の魅力は――
 あくまでも、“性の倒錯”の魅力であって、“性倒錯”の魅力ではないのですが――

 その“性の倒錯”の魅力について、

 ――この魅力は対称か。

 という問いに――
 最近、にわかに関心をもつようになりました。

 どういうことか――

 ……

 ……

 具体的に記せば、

 ――女性による男装と男性による女装とは真に対称的とみなせるか。

 という問いです。

 ……

 ……

 その答えを探る前に――
 一つ確認しておきたいことがあります。

 それは、

 ――男装にも女装にも、少なくとも2種類がある。

 という事実です。

 セーラー服も白拍子も――
 僕は、

 ――女性による男装

 という括りにしているのですが――

 ここでいう「男装」は――
 いずれも女性であることを秘匿してはいません。

 セーラー服の女子学生も白拍子の舞踏家も――
 女性であることをあらわにしています。

 むしろ――
 あえて男装を穏和にすることで、自身が女性であることを暗に強調しているようなところさえ、あります。

 これに対し――
 女性であることを強固に秘匿しようとする男装もありますね。

 例えば、付け髭などを用いる本格的な変装のことです。

 つまり――
 少なくとも女性による男装には、

 ――穏和な男装

 と、

 ――強固な男装

 との2種類があるわけです。

 よって――
 もし、女性による男装や男性による女装が真に対称的であるならば――
 当然、男性による女装にも、

 ――穏和な女装

 と、

 ――強固な女装

 とがあるはずです。

 強固な女装というのは――
 たしかにありますね。

 僕も何回かみたことがあります。
 男性であることが見事に秘匿されていました。

 が――
 
(穏和なものって、あるのか)
 と思うのです。

(ちょっとみたことないぞ)
 と――

 ……

 ……

 この疑念は――

 例えば――
 女性にとってのセーラー服や白拍子のような存在が、男性にもあるのか――
 という疑念に置き換えられます。

 ……

 ……

 思いつかないのですよね。

 少なくとも僕には――
 女性にとってのセーラー服や白拍子のような存在が、男性にもあるとは――
 ちょっと思えません。

 ……

 ……

 よって――
 現時点では、

 ――女性による男装と男性による女装とは対称的ではない。

 と――
 僕は考えています。

 ……

 ……

 ということは――
 たぶん、

 ――“性の倒錯”の魅力は、男性と女性とで、決して対称ではない。

 ということがいえます。

 この非対称性が意味するところは――
 なかなかに意味深長です。

 例えば、

 ――マル太が、“性の倒錯”の魅力を、女性による穏和な男装にのみ感じるのは、あくまで、マル太が男であるからであって、もし、女であったなら、おそらくは、男性による穏和な女装にのみ感じていたであろう。

 といった命題は成り立たないであろうことを――
 意味するのです。

 そもそも――
 男性による穏和な女装というものが存在しそうにないのですから――

 当然の帰結といえましょう。

 ……

 ……

 ちなみに――

 僕が、女性による穏和な男装にだけ、“性の倒錯”の魅力を感じ――
 他のいかなる男装・女装にも、それを感じないのは――
 事実です。

 ……

 ……

 あ――
 ちょっと嘘をいいました。

 男性による強固な女装には――
 魅力を感じます。

 が――
 それは、女性による自然な服装に感じる魅力と同一です。

 もし、女装とわかれば――
 その魅力は、僕の主観の中では、少なからず減弱します。

 たぶん、
(女装とわからなければよかった)
 と思うに違いありません。