マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“男女関係の弾性エネルギー”の発生原理

  男女関係 - 男男関係 = ?

 の答えについて――
 きのうの『道草日記』で少し述べました。

 この場合の「男男関係」というのは――
 きのうも述べましたが――
 同性愛の関係ではありません。

 簡単にいうと――
 男同士の友人関係ないし知人関係です。

 その答えについて――
 僕は、ちょっと賛同の得られにくい考えをもっています。

 それは、

  男女関係 - 男男関係 = 恋愛感情 + 一対一構造(?)

 という仮説です。

 「恋愛感情」の項は――
 たぶん異論のないところです。

 問題は、「一対一構造」の項ですよね。

 僕は――
 男女関係というものは――
 男も女も、その周囲の人たちも――
 暗黙のうちに一対一の人間関係を前提としている――
 と考えております。

 こう述べると、

 ――何を当たり前のことを!

 と呆れられる向きもあるかとは思いますが――

 男女関係において、一対一の人間関係が前提とみなされることは――
 決して当たり前ではありません。

 21世紀の現在でも、一夫多妻を認めている国は存在していますし――
 歴史的にみれば、日本も江戸期までは一夫多妻が認められていました。

 看過しえないことは――
 そういう一夫多妻が認められた地域や時代においても、恋愛感情は人々によって普通に自覚されていた――
 という事実です。

 例えば――
 一夫多妻制の地域であるがゆえに――あるいは、一夫多妻制の時代であったがゆえに――人々が恋愛感情を抱きにくかった、という事実は――
 おそらくは存在しないであろう――
 ということです。

 さらにいえば――
 一夫多妻が認められた地域や時代でさえも、男女関係というものは、

 ――本来、一対一の人間関係である。

 ということが前提とされる――
 という推論を、僕はもっています。

 つまり――
 妻を3人も4人も養っているイスラム社会の男性であっても――
 側室を10人も20人も養っていた江戸期のお殿様であっても――
 実は、男女関係については、暗黙のうちに一対一の人間関係が理想とされていたのではないか――
 という推論です。

 この「一対一構造」の前提こそが――
 おとといの『道草日記』で述べた“男女関係の弾性エネルギー”の発生原理になっている、と――
 僕は考えています。

 人間関係の一対一構造で束縛するがゆえに――
 その束縛から逃れようとする欲求が負の精神エネルギーとなって蓄積されるのではないか――
 ということです。