いわゆるリーダーの中には――
リーダーシップの発揮の仕方を間違えて――
ある日、突然、リーダーの地位を追われる人がいます。
もちろん――
それが、何一つ実績のなかったリーダーであれば――
単なる能力不足や適性欠如で説明はつきますが――
過去に華々しい実績のあるリーダーであれば――
別の説明が必要です。
どんな説明か――
……
……
僕は――
多くの場合、
――リーダーとフォローワーとで、今が乱時なのか平時なのか、見方が一致しなかったから――
という説明が妥当と考えています。
リーダーは平時のつもりなのに、フォローワーは乱時のつもりであった――
リーダーは乱時のつもりなのに、フォローワーは平時のつもりであった――
……
……
きのうの『道草日記』で述べたように――
平時と乱時とでは、リーダーシップの極意が異なります。
平時に、乱時のリーダーシップを発揮しようとしたら、周囲から強い反発をくらいます。
乱時に、平時のリーダーシップを発揮しようとしたら、周囲から全く相手にされません。
ただし――
……
……
平時か乱時か――
その状況に合わせて自身のリーダーシップの質を調整できるようなリーダーは稀です。
たいていのリーダーは、
――平時向き
か、
――乱時向き
かのどちらかです。
よって――
乱時を「乱時」と的確に受け止め、あるいは、平時を「平時」と冷静に見抜いた上で、今は誰をリーダーに据えるのがよいのかを慎重に判断するのは――
フォローワーの責任といえます。
もちろん――
そのような責任を負えるのは、フォローワーの全員ではありません。
誰をリーダーに据えるのがよいのかを判断しうる立場にある一部のフォローワーです。
通常――
そのようなフォローワーは――
政権選択を迫られる民主主義国家の主権者の例を除けば――
ほんの一握りです。