マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

リーダーシップの極意は乱時と平時とで違う

 ――リーダーシップには、極意がある。

 といわれます。

 では――
 その“極意”とは、何か――

 この問いの答えに――
 絶対の自信を持っている人は――

 たぶん、ほとんどいないでしょう。

 僕も――
 大した自信は持っていません。

 が――
 一つ、いえることは、

 ――リーダーシップの極意は、乱時と平時とで、まったく異なる。

 ということです。

 このことに気づいていない人が――
 いくらリーダーシップの極意について語っても、説得力は得られない、と――
 僕は思っています。

 ……

 ……

 ――乱時

 とは、社会が騒乱の只中にある時です。

 ――平時

 とは、社会が平静を保っている時です。

 乱時でのリーダーシップの極意は、

 ――言葉

 です。

 戦争であれ災害であれ――
 社会の秩序が乱れた状況を的確に分析し、その後の対応について、緻密に思考し、果敢に決断する――
 その過程を言葉で巧みに表し、周囲に熱心に語りかけ、その奮起を促し、

 ――よし、皆で力を合わせて、この逆境を乗り越えよう。

 と思わせることのできる能力――
 それが、リーダーシップとしての“言葉”です。

 一方――
 平時でのリーダーシップの極意は、

 ――愛嬌

 です。

 社会が平穏で安定していて――
 むしろ、その退屈な日常に皆がウンザリしている状況を的確に分析し、何か打開策を示し、提案する――
 その過程では、ただ言葉で訴えるのではなく、周囲の意欲を高め、前向きな気持ちを引き出し、

 ――この人のために、何かしてあげよう。

 と思わせることのできる気質――
 それが、リーダーシップとしての“愛嬌”です。

 もちろん――
 乱時でも、“愛嬌”があるに越したことはなく――
 また――
 平時でも、“言葉”があるに越したことはありません。

 が――
 乱時に“愛嬌”だけで、“言葉”がなかったり――
 平時に“言葉”だけで、“愛嬌”がなかったりすると――

 リーダーシップそれ自体が、まるっきり機能しません。

 ――なんか不安だ。

 と危ぶまれたり、

 ――めんどくせぇ!

 と疎まれたりして――
 オシマイです。