マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

民主主義の社会における「変」と「乱」――

 日本史の愛好家たちの間で、しばしば議論の対象となる、

 ――「変」と「乱」との違い

 について――

 3日前の『道草日記』で、

 ――争いの規模が大きければ「変」であり、小さければ「乱」である。

 と述べました。

 

 争いは、一般に、

 ――小さければ小さいほどによい。

 と、みなされますよね。

 

 とくに権威主義の社会では――

 争いの規模は、その争いに巻き込まれて殺される者の数に、ほぼ比例をすると考えられます。

 

 よって――

 少なくとも権威主義の社会では、

 ――乱

 よりも、

 ――変

 のほうが好まれるでしょう。

 

 そのほうが犠牲者が少なくて済むのですから――

 当然です。

 

 が――

 民主主義の社会では――

 状況は異なります。

 

 民主主義の社会では――

 争いに巻き込まれて殺される者は、少なくとも建前としては、皆無です。

 

 よって――

 争いは、必ずしも、

 ――小さければ小さいほどによい。

 とは、みなされません。

 

 むしろ、

 ――公衆の面前で、堂々と大々的に争うのがよい。

 と、みなされるのです。

 

 なぜか――

 

 ――選挙

 という政治制度があるからです。

 

 民主主義の社会では――

 政権は、基本的には、

 ――選挙

 によって変わるとされています。

 

 ――選挙

 を避け、主な関係者だけが密室に集まって協議をし、政権を変えるようなことは――

 むしろ、

 ――密議

 とみなされ、忌避をされるのです。

 

 民主主義の社会では、

 ――選挙

 は、

 ――乱

 にあたり、

 ――密議

 は、

 ――変

 にあたります。

 

 つまり――

 権威主義の社会では、

 ――乱

 よりも、

 ――変

 が好まれるのに対し――

 民主主義の社会では、

 ――変

 よりも、

 ――乱

 が好まれる――

 ということです。