――宋(そう)襄(じょう)の仁
にみる鈍感さについて――
きのうの『道草日記』で述べました。
この鈍感さは――
おとといまでの『道草日記』で触れた、
――堯(ぎょう)舜(しゅん)の治
にみる“鈍感さ”と――
何が違うのでしょうか。
……
……
鈍感の対象が違う、と――
僕は考えています。
――何に対して鈍感なのか。
という点です。
……
……
宋襄の仁にみる鈍感さは――
自分の周囲を取り巻く現実の状況に対する鈍感さです。
大した力もないのに覇者を目指す――その無謀さや驕慢さと――
そうした野心に、周囲の人々が、どのような印象を抱くかについて――
宋の襄公は、あまりにも鈍感に過ぎました。
一方――
堯舜の治にみる“鈍感さ”は――
自分自身の心の動き――例えば、利己や保身――に対する鈍感さです。
堯は、自分の政治が巧くいっていることの確認がもたらす安心感を、ギリギリまで保留にしました。
舜は、自分を迫害する父親から逃れたいと願う当たり前の不安感を、最後まで押し殺し続けたり、自分が次代の帝位を受け継ぐことが最適であるとの確信を、ギリギリまで保留にしたりしました。
堯も舜も、自分自身の心の動きには、驚くほどに鈍感であったのです。
ただし――
この種の鈍感さは――
実は、宋襄の仁にも、みてとれるのですね。
宋の襄公は、大した力もないのに覇者を目指すことの不安感や、強大な力をもつ楚の国に戦いを挑む恐怖感を、最後まで押し殺し続けました。
自分自身の心の動きに驚くほど鈍感であったという点では――
宋襄の仁も堯舜の治も似たようなものなのです。
この類似性が――
ときに人の思慮を狂わせます。
宋の襄公も――
おそらくは、思慮を狂わされた一人です。
いわゆる「宋襄の仁」の言葉によって――
宋の襄公は、後世の嘲りを受けましたが――
実は――
その考え方に共感を示す向きもあるのですね。
宋襄の仁の時代から500年ほどが経った頃――
宋の襄公が最期まで卑怯な手段に訴えなかったことに一定の共感を示しているといわれています。
司馬遷は――
宋襄の仁にみる鈍感さが、堯舜の治にみる“鈍感さ”から簡単には区別されえないことを、十分に認識していたのではないか、と――
僕は考えています。