マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

堯舜の治にみる“鈍感さ”(4)

 ――堯(ぎょう)舜(しゅん)の治にみる“鈍感さ”は、あくまで見かけ上の鈍感であり、堯も舜も実は敏感な人であったに違いない。

 という話を――
 きのうの『道草日記』で述べました。

 敏感なところが全くないようでは――
 少なくとも伝説に名を残すような帝とはなりえなかったはずです。

 とはいえ――

 堯舜の治にみる“鈍感さ”は――
 本当の意味での鈍感さと紙一重であることを――
 僕らは決して忘れるわけにはいきません。

 さしあたり――
 思い浮かぶのは、

 ――宋(そう)襄(じょう)の仁

 にみる鈍感さです。

 ……

 ……

 ――宋襄の仁

 は――
 古代中国・春秋時代前期の故事に由来します。

 当時の中国は――
 黄河流域に限局していた王国でした。

 形式的には、「周」と号する王朝によって治められていましたが――
 実質的には、王の臣にあたる有力者たちが王国内に割拠していました。

 それら有力者たちの中で最も力を持った者が、

 ――覇者

 と呼ばれ――
 王に代わって黄河流域に号令を発していました。

 そうした覇者になろうとした有力者の一人が――
 「宋襄の仁」の「宋襄」です。

 「宋」というのは、周の領国の一つです。

 これを治め、かつ死後に「襄公」という諡号(しごう)を受けたことから――
 「宋襄」と通称されています。

 宋の領主の一族は――
 周の王朝が樹立される前の王朝であった殷の王族の流れをくんでいました。

 このことから――
 宋の領主は、少なくとも形式的には、周の王朝の臣としては最高位にありました。

 そうした形式を――
 とりわけ宋の襄公は重んじていたようです。

 大した力もないのに、覇者を目指します。

 それを快く思わない人物がいました。
 「楚」と号する王朝の君主であった成王です。

 楚は長江流域の王国で――
 当時は、まだ中国に組み込まれていないか、組み込まれつつある、とみなされていました。

 少なくとも楚の人々は、

 ――組み込まれていない。

 とみなしていたようです。

 つまり――
 楚の王朝は、楚を独立国とみていました。

 一方――
 宋は、形式的とはいえ、周の領国の一つです。

 そんな宋の領主が覇者を目指すというのですから――
 少なくとも楚の人々にとっては、滑稽です。

 実際――
 楚の国力は宋の国力を遥かに凌駕していたといいます。

 ある時――
 楚の成王は、宋の襄公に無礼を働きます。

 大した力もないのに覇者を目指している宋の襄公が不愉快であったのでしょう。
 配下の将軍に命じ、宋の襄公を、晴れやかな外交の場で拉致してしまうのです。

 正確には――
 配下の将軍が先走って宋の襄公を拉致したところ――
 その狼藉を追認し、称揚したのです。

 拉致された宋の襄公は怒り――
 解放された後、楚の成王に戦いを挑みます。

 この戦いで――
 宋の襄公は、楚の兵の態勢が十分に整っていないところを攻撃できる好機に恵まれます。

 ――今こそ攻めかけましょう。

 と意気込む臣――

 ところが――
 宋の襄公は、

 ――ならぬ。

 と制します。

 そして――
 楚の兵が十分に態勢を整えたところで攻撃し――
 散々に敗れてしまうのです。

 自身も太腿に矢傷を負って――
 それが原因で、ほどなく死ぬのですが――

 死ぬ前に――
 臣から、

 ――あの時、なぜ攻めかけなかったのですか。

 と問われ――
 次のように答えたそうです。

 ――仁者は戦いにおいても礼節は守るものだ。

 その答えを聞いた者は――
 皆、呆れました。

 ……

 ……

 誤解のないように述べますと、

 ――たとえ戦場においても礼節は守られるべきだ。

 とする考え方は太古の社会にはあったそうです。

 この時代――
 そうした考え方は、まだ辛うじて残っていました。

 よって――
 宋の襄公の答えは、まったくの非常識というわけではありません。

 とはいえ――
 あの戦いで、宋の兵力は楚の兵力より明らかに劣っていました。

 宋が楚に勝つ見込みは――
 乏しかったのですね。

 そのような戦況に、宋の襄公が鈍感であったことは――
 ほぼ間違いありません。

 この点を踏まえて――
 後世の人々は、宋の襄公を、

 ――身のほど知らず

 と断罪し――
 いつしか、わが身の非力を省みずにかける情けのことを、

 ――宋襄の仁

 といって蔑むようになったのです。

 ……

 ……

 さて――

 宋襄の仁にみる鈍感さを――

 僕らは――
 どのように捉えるのがよいでしょうか。

 堯舜の治にみる“鈍感さ”と――
 何が違うというのでしょうか。

 ……

 ……

 答えは――
 そう簡単ではありません。

 続きは、あすの『道草日記』で――