――堯(ぎょう)舜(しゅん)の治
にみる“鈍感さ”について――
きのうまでの『道草日記』で――
やや詳しく述べました。
簡単にいうと――
堯や舜の“鈍感さ”は、本当の意味での「鈍感」ではありません。
おそらく――
どちらの帝も、その気になりさえれば、いくらでも敏感になれました。
少なくとも伝説で語られるところから推し量る限り――
そのように想像できます。
あえて敏感にならなかったところに――
堯舜の治の“鈍感さ”の本質があるのです。
例えば――
堯は、自分の政治が巧くいっているかどうかを、臣や民に向かって、自ら直に問い質しましたが――
そうした確認が、いかに不毛であるか、内心では十分に敏感であったはずです。
おとといの『道草日記』でも述べたように――
堯の政治が巧くいっていたのなら――
予想される答えは、
――わかりません。
しかありえませんでした。
その予想通りの答えを得た上で――
堯は、あえて街中に出て――
そして、例の不遜な老人に出会うのです。
――帝の力が私に及ぶことなど、ありえようか。
この言動は――
おそらく、堯の予想を超えていました。
帝である自分の力が、まさか正面から否定されるとは、夢にも思っていなかったに違いありません。
それゆえに――
この言動が示唆していたことを――すなわち、自分の政治が巧くいっていることを――
堯は、素直に受け入れる気になったのです。
裏を返せば――
そのような極端な人物の言動に出くわすまで――
堯は、自分の政治が巧くいっていることを決して受け入れようとはしなかった――
つまり――
それだけ“鈍感”であった――
ということができます。
……
……
舜についても――
同様のことがいえます。
父親に疎まれ、迫害されていることに気づいていながら――
あえて気づかないふりをしていて――
それは――
おそらくは、父親の非を暗に指摘するためです。
あえて気づかないふりをしながら――
あいも変わらず、父親に孝を尽くし続けることで――
その指摘に周囲の人々が気づき――
場合によっては、当の父親も――
その指摘を受け入れ、言動を改めるかもしれないからです。
実際――
伝説では――
父親は言動を改めたことになっています。
また――
周囲に推されて仕方なく帝位を受け継ぐくだりについても――
それまでの経緯から、自分が帝位を受け継ぐことが最も妥当であるということは――
おそらく、舜自身が一番よくわかっていたはずです。
が――
あえて、よくわかっていないふりをした――
自分が帝位を受け継ぐことに納得しない人々をいかに納得させるか――
そこに熟慮が及んだ結果に違いありません。
……
……
このように――
堯舜の治にみる“鈍感さ”というのは――
敏感さに裏打ちをされている見かけ上の鈍感さなのです。