マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

理想の異性像を語るなら

 理想の異性像を語るなら――
 仰々しく語るものではありません。

 “理想”であるがゆえに――
 現実から乖離しがちであるから――
 というのが理由の1つ――

 それ以外に、もう1つ――
 大きな理由があります。

 それは、

 ――理想の異性像は年齢とともに劇的に変わっていくから――

 です。

 同一人物であっても――
 20代のときの“理想”と40代のときの“理想”とでは――
 かなり違うのが普通です。

 ときに、

 ――真逆

 という人がいるくらいです。

 その20年間で培った人生経験が――
 理想の異性像を大きく変化させるのです。

 そんな変化しやすいものを――
 あれこれと詳しく大仰に語るのは、野暮の極みといえましょう。

 目まぐるしく変わる日々の天気を仰々しく語るかのような――
 滑稽さです。

 ……

 ……

 もし――
 どうしても理想の異性像を語るのなら――

 仰々しく語るのではなく、

 ――サラっと――

 語るのがよいでしょう。

 あたかも――
 日々の天気のことを語るかのように――