マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

学問も恋愛も○○である

 ――学問は遊びだ。

 などというと――
 たぶん怒られるのですが――

 でも――
 僕は、

 ――少なくとも遊びの要素はある。

 と思っています。

 たしかに、社会の実利に深く関わる学問なら、それを「遊び」とは、なかなかに呼びにくいのですが――
 例えば、純粋科学のように、社会の実利から遠く離れた学問なら、「遊び」と呼んでも差し支えはないでしょう。

 つまり、「学者」という人たちは――
 本来は仕事ではない営みを生業とする人たちのことであり――
 あえていえば、

 ――遊びを仕事にしている人たち

 なのです。

 それと同じような意味で――

 ……

 ……

 ――恋愛は遊びだ。

 と――
 僕は思っています。

 こういうと――
 たぶん怒られるのですが――

 でも――
 僕は、

 ――学問に遊びの要素があるように、恋愛にも遊びの要素はある。

 と思っています。

 きのうの『道草日記』で述べたように――
 恋愛には、

 ――性格や人格の洗練化

 という側面があります。

 いわば、

 ――人生修行

 のような様相です。

 それくらいに――
 恋愛は、基本的には、うまくいかないものである――
 ということです。

 うまくいかずに――
 あれこれと思い悩み、考え苦しみ、やがて、思い定めていく――

 それが――
 恋愛です。
 
 とはいえ――

 ……

 ……

 もちろん――
 それだけが恋愛ではありませんよね。

 恋愛は――
 うまくいっている限りは、まことに心地よいことであり、楽しいことでもあります。

 ですから――

 僕は、

 ――恋愛は「人生修行」という名の罰を受けやすい遊びである。

 と――
 思うことにしています。