サディズムやマゾヒズムが生じるわけは、
――生物種としてのヒトは、実際の生殖に結びつかなくても、生殖欲求だけは満たそうとする。
という命題の延長にある――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
……
……
この命題を――
きのうの僕は、こともなげに記しましたが――
よく考えてみたら――
この命題の意味するところは、かなり奇妙です。
――実際の生殖に結びつかなくても、生殖欲求だけは満たそうとする。
ということは――
つまり、
――生殖欲求の充足は生殖行為の成否とは無関係である。
ということです。
いいかえれば、
――生物種としてのヒトは、少なくとも直接的には、生殖の完遂のために生殖欲求を満たしているわけではない。
ということになります。
では――
ヒトが生殖欲求を満たそうとする直接の理由とは何か――
……
……
――楽しむため――
というのが――
その答えです。
……
……
――何を当たり前のことを!
と嘲ってはいけません(笑
たしかに――
人文科学ないし社会科学の経験則あるいは対抗文化の傾向から得られる洞察に基づけば――
答えの意味は明らかかもしれません。
が――
驚くべきことに――
この答えは自然科学――とくに進化生物学――の理論に基づいた答えでもあるのですね。
どういうことか――
……
……
簡単にいうと、
――生物種としてのヒトは、生殖行為の成否とは無関係に、自分たち(ないしは自分)が楽しむためだけに生殖欲求を満たそうとするという性質を、長い進化の過程で獲得してきた。
ということです。
裏を返すと、
――生殖行為の成否ばかりを気にして生殖行為を楽しもうとしなかったヒトは自然淘汰されてきた。
ということです。
この答えの根拠は何かというと――
おそらく最も本質的な根拠は、
――生物種としてのヒトは、いわゆる発情の兆候を内面的にも外面的にも呈さないために、自分たちの生殖を完遂させうる時期(具体的には、女体の排卵の時期)を正確に知ることができない。
ということです。
例えば、チンパンジーやゴリラは――
いわゆる発情の兆候を外面的に(雌体の一部の僅かな変化として)呈します。
内面的にも、おそらくは呈している、と――
考えられます。
例えば、チンパンジーやゴリラは――
雌が発情の兆候を外面的に呈しているときに、その雌の様子を観察すると――
あたかも自分が発情期にあることを知っているかのように、行動をするのだそうです。
つまり――
チンパンジーやゴリラは、自分たちの生殖を完遂させうる時期を正確に知っていると、みなせるのですね。
と同時に――
チンパンジーやゴリラは、自分たちが楽しむためだけに生殖欲求を満たそうとしている様子がないのです。
生殖を完遂させうる時期だけに限って生殖欲求を満たそうとしているようにみえるのですね。
合理的なのです。
……
……
ヒトは――
そうではありません。
自分たちの生殖が完遂しうる時期を――
ヒトは正確に知ることができません。
もちろん――
現代医学の知識を使えば(例えば、女性の体温を日々正確に測定し、その僅かな変化を察知するなどの方法を採れば)ある程度の推定はできますが――
その正確さには限度があります。
いわんや――
現代医学の知識や理解がなかった時代には――
自分たちの生殖が完遂しうる時期は検討さえつかなかったはずです。
さらにいえば――
自分たちの生殖の完遂しうる時期が(女体の排卵の時期に)限られているという事実に気づいてさえ、いなかったのですね。
そんな状態ないし状況にあったヒトが、自分たちの子孫を少しでも多く残していくには――
生殖行為の目的意識は不要でした。
少なくとも――
目的意識の強い生殖行為が子孫を残すのに有利であったとは考えにくい――
目的意識の弱い生殖行為――自分たちが楽しむためだけの生殖行為――生殖の完遂が二の次である生殖行為――
そんな生殖行為こそが有利であったに違いないのです。
その背景にあったのは――
もちろん、
――下手な鉄砲、数打ちゃ当たる。
の原理です。