いわゆる知行同一の思想について、
――ひとつの“知”
は、
――さまざまな“行”
によって下支えされている――
ということを――
ここ数日の『道草日記』で繰り返し、述べてきました。
図にすると、
知
行 行
行 行 行
行 行 行 行
行 行 行 行 行
です。
……
……
このことについて――
僕は、きょうまで――
もっとも大切なことに、触れずにきました。
その“もっとも大切なこと”とは何か――
……
……
――いわゆる知行合一を実践できているような人であっても、その“知”や“行”で完全なピラミッド型を形成できているような人は、おそらく皆無である。
ということです。
つまり、
知
行 行
行 行 行
行 行 行 行
行 行 行 行 行
のような人は皆無であり――
実際には、
知
行 行
行 行
行 行 行 行
行 行 行
であったり、
知
行
行
行 行
行 行
であったり、
知
行 行
行
行
行 行 行 行
であったり、
知
行 行
行
行
であったりする――
ということです。
具体的には、
――人情の機微に熟知していて、それを巧みに描く小説家が、実生活では、まったく人情を理解しない。
とか、
――街頭で群衆の心を掴む術を熟知している政治家が、ネットで安易なコメントを書き込んで炎上する。
とか――
そういう例は、ぜんぜん珍しくない――むしろ、そういう例が大半である――
ということです。
要するに――
美しいピラミッド型に拘ることなく――
実践できる“行”から、どんどん実践していくのがよい――
ということです。