マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本史における最大級の謎は他にもある

 日本で君主の家系の入れ替えが長らく起きなかったことは、

 ――日本史における最大級の謎

 である――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 ――日本史における最大級の謎

 なら――
 他にもあります。

 例えば、

 ――なぜ日本人は勝算に乏しい大東亜戦争(太平洋戦争)を始めてしまったのか。

 です。

 ……

 ……

 この謎は――
 実は「日本史における最大級の謎」と呼ぶには、少し規模が物足りません。

 そう呼ぶのにふさわしい規模に書き換えるとすれば――
 次のようになります。

 ――なぜ日本人は朝鮮半島へ進出しようとするのか。

 ……

 ……

 あえて大雑把にいいますと――

 明治政府は――
 朝鮮半島に進出し、朝鮮半島での権益を確保して――
 その権益を確保し続けるために、中国大陸へ進出しました。

 その過程で――
 アメリカやイギリスなどと衝突をし――

 ついには――
 大東亜戦争へなだれこんでいったのです。

 ……

 ……

 大東亜戦争は昭和前期に始まりました。

 が――
 大東亜戦争を引き起こした社会機序それ自体は、昭和前期に始まったのではない、と――
 僕は考えています。

 では――
 いつ始まったのか――

 ……

 ……

 (明治維新のとき――)
 と――
 僕は考えています。

 ……

 ……

 明治維新以前と以後との社会の動きを比べれば――
 よくわかるのです。

 明治政府以前の政権は、徳川幕府でした。

 徳川幕府は――
 朝鮮半島への不介入を貫きました。

 徳川幕府以前の政権は、豊臣政権です。

 豊臣政権は――
 朝鮮半島への積極介入を試みました。

 いわゆる朝鮮出兵です。

 16世紀のことでした。

 そして――
 その試みは失敗に終わります。

 朝鮮出兵は――
 朝鮮半島への積極介入の挫折とみなせるのです。

 明治政府は――
 豊臣政権の外交政策徳川幕府外交政策とを比べたはずです。

 そして――
 豊臣政権の外交政策を選んだ――

 自分たちが倒した政権の外交政策を受け入れたくはなかったのでしょう。

 豊臣政権とは異なり――
 明治政府は、朝鮮半島への積極介入に成功しました。

 ここでいう、

 ――明治政府

 とは――
 大正や昭和前期の大日本帝国政府を含みます。

 つまり――
 豊臣政権の朝鮮出兵と明治政府の大東亜戦争とは――
 根が同じである――
 ということがいえるのです。

 ……

 ……

 実は――

 朝鮮半島への積極介入を試みたのは――
 豊臣政権や明治政府だけではありませんでした。

 7世紀の大和朝廷も――
 朝鮮半島への積極介入を試みています。

 白村江の戦いです。

 この戦いに敗れた大和朝廷は――
 以後、朝鮮半島への積極介入を諦めました。

 再度の積極介入は――
 約900年後の豊臣政権まで、待たねばならなかったのです。

 ……

 ……

 以上を整理すると――
 次のことがいえます。

 ――明治政府が試みた朝鮮半島への積極介入は、実は、16世紀の豊臣政権や7世紀の大和朝廷が採用した外交政策と同根である。

 つまり、

 ――この国は、どういうわけか、大和朝廷の時代から、朝鮮半島へ進出しようとしてきた。

 ということです。

 これは――
 たしかに謎です。

 「日本史における最大級の謎」の一つといってよいと思います。