マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本人は、内在する不安に駆り立てられるようにして

 ――なぜ日本では君主の家系の入れ替えが長らく起きなかったのか。

 ということの他に、

 ――なぜ日本は大和朝廷の頃から朝鮮半島へ進出しようとしてきたのか。

 ということも、また、

 ――日本史における最大級の謎

 である――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 1つめの謎である、

 ――なぜ日本では君主の家系の入れ替えが長らく起きなかったのか。

 を解く鍵は、

 ――日本人は不安を感じやすい体質らしい。

 というものでした。

 では――
 2つめの謎である、

 ――なぜ日本は大和朝廷の頃から朝鮮半島に進出しようとしてきたのか。

 を解く鍵は――
 何でしょうか。

 ……

 ……

 僕は、
 (1つめの謎と同じだろう)
 と、みています。

 つまり、

 ――日本人は不安を感じやすい体質らしい。

 という鍵です。

 人一倍に不安を感じやすいので――
 日本人は、対外的な防衛ラインを、朝鮮半島と九州との間に引こうとはしません。

 どうしても――
 朝鮮半島の付け根とか中国大陸の内奥の方とかに、引きたがります。

 なぜなのか――

 ――不安を感じやすいから――

 というのが――
 僕の答えです。

 不安で不安で、しょうがないから――
 少しでも九州から離れたところに防衛ラインを引きたがる――

 もし――
 日本人が――集団としての日本人が――とくに不安を感じやすいというわけでなかったなら――

 おそらく――
 どの時代のどの政権も――
 防衛ラインを、何食わぬ顔で、朝鮮半島と九州との間に引いたことでしょう。

 その辺に引いておけば――
 ふつうに考えれば――
 事は足りるのです。

 現に――
 17世紀から19世紀にかけての徳川幕府は――
 朝鮮半島と九州(対馬)との間に防衛ラインを引いていたようにみえます。

 そこに防衛ラインを引いたところで――
 国防上、とくに困ったことにならなさそうなことは――

 徳川幕府が、200年以上にもわたって、ほとんど国防に支障をきたさなかった史実が――
 暗に示しています。

 が――

 ……

 ……

 集団としての日本人が不安に苛まれているなら――
 そうはいかないのです。

 そんなところに――つまり、朝鮮半島と九州(対馬)との間に――防衛ラインを引いたりするなど――
 怖くて、できないのです。

 朝鮮半島と九州(対馬)との間では近すぎて――
 怖いのです。

 それゆえに――

 日本人は、朝鮮半島への進出に、しばしば拘った、と――
 僕は思っています。

 なぜ拘ったのか――

 繰り返します。

 ――不安であったから――

 です。

 要するに、

 ――日本人は、内在する不安に駆り立てられるようにして朝鮮半島へ進出し、気がついたら、大東亜戦争へと突き進んでいた。

 ということです。