――理詰めで物事を考えるな。
と、よくいわれます。
とくに年配の方々に好まれる警句です。
この警句を、20代の僕は、年配の方々から何回か受けました。
その都度、反発を覚えたものです。
(理詰めでなかったから、考えようがないではないか)
と――
が――
年配の方々が20代の僕に仰りたかったことは、そういうことではありません。
実際のところ、理詰めを抜きにして――つまり、理屈の要素を全く使わずに、ただ気持ちの断片だけに基づいて――物事を考える、ということは、ほぼ不可能です。
それは、たんに気持ちに振り回されて短絡的に行動をしたり、気持ちが先走って不用意に発言をしたりする愚行を意味しているにすぎません。
年配の方々のお話をきくと、「理詰めで物事を考えるな」とは、決して「理屈の要素を全く使うな」ということではないのです。
――理屈の要素を使うだけではなくて、気持ちの断片も十分に活かした上で、物事を考えろ。
ということなのです。
例えば、
――気持ちが理詰めで割り切れないことも多々あることを積極的に認めた上で、可能な限り、理詰めで物事を考えよ。
ということです。
ここでいう「可能な限り」は、「ほどほどに」に置き換えるほうが、たぶん、ずっとわかわりやすいでしょう。
つまり、「理詰めで物事を考えるな」ではなく、
――理詰めで物事を考えすぎるな。
なのです。
(だったら、そういってくれよ)
と、僕などは思うのですが――
なぜでしょうか。
そういうところは――
年配の方々の多くが、せっかちです。
――理詰めで物事を考えすぎるな。
というのがよいところを――
つい、
――理詰めで物事を考えるな。
といってしまう――
40代も半ばになって――
そのことに気づいてきました。
たぶん――
年配の方々への仲間入りを果たしつつある、ということでしょう。