韓国との関係を考える上で加味せざるをえない要素として
――小中華思想
がある、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
この小中華思想のことを、
――滑稽だ。
と評された方がいます。
作家の司馬遼太郎さんです。
ご自身の随筆『この国のかたち』にある一節「李朝と明治維新」の中で、小中華思想の概略を説かれたあと、
――何やら馬鹿げているが……
と述べていらっしゃいます。
「馬鹿げているが……」の後に何が続いているかというと、
――“礼”には多少の滑稽感が伴う。
です。
――礼
とは、僕らが日常会話で用いる「礼」ではなく、儒教でいう「礼」のことです。
人間関係を円滑化させたり社会秩序を安定化させたりするのに有効と考えられていた規範――つまりは、ルールのこと――を指します。
当初は、人間関係や社会秩序を良好に保つことが目的であったはずですが――
時代が下るにつれて、手段が目的と化してしまったようなところが、儒教の礼にはあります。
つまり――
「礼」というルールを守ろうとするあまり、かえって人間関係や社会秩序を乱してしまうような事例が散見されるようになったのです。
司馬遼太郎さんのご指摘は、
――朝鮮半島の人たちは、礼を重視するあまり、小中華思想に辿り着き、その結果、中国大陸以外の人たち――例えば、日本列島に暮らしていた我々の祖先――を不愉快な気分にさせたにも関わらず、そのことに自覚的ではなかった。
というところに、おそらくは真意があります。
同じ一節の中で――
司馬遼太郎さんは、幕末期、大政奉還を遂げた徳川慶喜が、李氏朝鮮に対し、事の子細を書簡で報せたにもかかわらず、李氏朝鮮は無視を決め込んだこと――また、その後の明治期に、新政府が朝鮮半島の釜山へ使者を派遣し、明治維新の顛末を説明した上で「これまで通り、あなたがたと仲良くやっていきたい」といった主旨の言葉を伝えたにもかかわらず、地方官が挨拶を受けただけで、都から返礼の使者が来ることはなかったこと――に触れ、
――返事もしなかったところに、“礼”のもつ滑稽感がある
と、おっしゃるのです。
たしかに、徳川慶喜や明治の使者を不愉快な気分にさせたことは想像に難くなく、そのことが“礼”の当初の目的から逸脱している点は、明らかといってよいでしょう。