昭和前期の哲学者・九鬼周造は、論文『「いき」の構造』の中で、「粋(いき)」が次の3つの要素から成ることを指摘しました。
媚態
意気地
諦め
です。
何のことか、ちょっとわかりづらいと思います。
同じ論文の中で、
――垢抜して張りのある色っぽさ
と、まとめている箇所があるところから、それぞれ、
媚態:色っぽさ
意気地:張りのあるさま
諦め:垢抜けたさま
と言い換えてよいでしょう。
それでも、「媚態:色っぽさ」以外は、ちょっとわかりづらい――
媚態:色っぽさ
というのは、よくわかります。
要するに、
――色気
でしょう――これは、よい――
意気地:張りのあるさま
というのは、
――犯すべからざる気品・気格
あるいは、
――媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識
とも言い換えています。
よって、
――勝気
のことでしょうか。
また、
諦め:垢抜けたさま
というのは、
――運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心
あるいは、
――あっさり、すっきり、瀟洒(しょうしゃ)たる心持
とも言い換えています。
よって、
――心得
のことでしょうか。
九鬼周造の「粋」は、
色気
勝気
心得
の3つの要素から成っていると、僕は理解しています。
言い換えると、
――色気のない「粋」は野暮である。
――勝気でない「粋」は野暮である。
――心得のない「粋」は野暮である。
ということです。