――知覚
を、
――刺激を感覚として受け入れ、それに意味を見出すこと
と取り決める場合には――
「刺激」や「感覚」や「意味」の言葉の使い分けが大切である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
その上で、「刺激」と「感覚」との関わりについて、
――刺激は感覚の原因であり、感覚は刺激の結果である。
と述べました。
きょうは、「感覚」と「意味」との関わりについて考えます。
「意味」とは、
――“現在の感覚”と“過去の感覚”との間の相関性
です。
――相関性
とは、何らかの関連性のことで――
例えば、同一性や類似性、場合によっては、差異性や対照性などが含まれます。
心は、成長や成熟の過程で、夥(おびただ)しい数の感覚を受け入れています。
それら感覚の痕跡が、多かれ少なかれ、脳には残されているはずです。
それら痕跡から“過去の感覚”が、おそらくは不完全ながらに再現をされ――
その再現をされた“過去の感覚”が“現在の感覚”と――心によって受け入れられたばかりの“現在の感覚”と――照らし合わされる結果、何らかの相関性が見出されるときに――
心は、その“現在の感覚”に対して、何らかの意味を見出している、と――
考えられます。
以上をまとめると、
――感覚と感覚とが照らし合わされることで意味が見出される。
といえます。