――クオリア(qualia)
の問題は――
意識の働きを、
――“現在の感覚”が“過去の感覚”と照らし合わされて何らかの相関性が見出されること
とみなすことによって、解決の糸口が得られるかもしれない、ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
どういうことか――
端的にいえば――
クオリアをもたらしているのは、
――過去の感覚
ではないか、ということです。
正確には、
――“過去の感覚”が脳に残した痕跡の集積
です。
例えば――
赤い苺(いちご)の刺激が感覚として脳ないし心に受け入れられる際には――
その感覚は、意識の働きによって、“現在の感覚”として、“過去の感覚”と照らし合わされていて――
このときに、照らし合わされる“過去の感覚”が何らかの影響を及ぼすことで、クオリアが生じているのではないか――
ということです。
その“過去の感覚”のなかには、当然、これまでに受け入れてきた赤い苺の刺激による感覚が含まれますが――
それだけではなくて――
例えば、赤い林檎(りんご)や少し白っぽいところのある苺など、その“赤い苺”の感覚と何らかの相関性がありそうな“過去の感覚”の全てが含まれます。
それら“過去の感覚”の組み合わせが意識の働きに何らかの影響を及ぼすことで、クオリアが生じている――
そして――
その“過去の感覚”の組み合わせは、それぞれの脳ないしは心に固有の要素の組み合わせであるはです。
脳や心にとって、“過去の感覚”は、たった1度きりの唯一無比の感覚であるはずだからです。
――きのう見た夕日と、きょう見る夕日とは違う。
というのと同じ原理です。
もちろん――
“過去の感覚”の組み合わせも、また、その組み合わせの集積も、その集積の履歴も――
唯一無比です。
よって――
クオリアが、他の脳や心と共有されることは、原理的にありえません。
また――
クオリアは、神経細胞によって伝達される信号に、たぶん還元はされえますが――
その還元を経て具象化された信号は、当該の脳や心にとってのみ通用しうる信号であり、他の脳や心にとっては――異なる“過去の感覚”の履歴をもっているはずの他の脳や心にとっては――通用しえない信号であるはずです。
この“過去の感覚”の履歴の固有性は――
クオリアが、一見いかなる形式の抽象化も不可能であることと、よく符合します。