意識の働きを、
――“現在の感覚”が“過去の感覚”と照らし合わされて何らかの相関性が見出され続けるること
とみなすことを――
きのうまでの『道草日記』で繰り返し述べてきました。
その前提となっているのは――
脳や心における時の移ろいです。
脳も心も、現在と過去とを正確に区別できることが前提となっています。
ただし――
この前提は――
脳や心が精密な時計仕掛けになっていることまでは意味しません。
脳や心が感知できるのは――
少なくとも一次的には――
現在と過去との違いだけであろう、と――
僕は考えています。
例えば――
3日前の過去と4日前の過去とを精密に選り分けることや2年前の過去と3年前の過去とを精密に選り分けることは、少なくとも一次的には、できない――
何らかの手がかりや足がかりを基に――例えば、他者からの情報や残された記録などを基に――論理的な思考を展開しない限りは、おそらく、精密に選り分けることはできない――
そう考えています。
脳も心も、そんなに精巧な時計ではない、ということです。
が――
現在と過去とを区別することならできる――何らかの手がかりや足がかりがなくても、できる――12月15日の『道草日記』で触れた意識変容などが起こっていない限りは、確実にできる――
そういうことです。
このことは――
ほとんどの人々が、いわゆる時間の経過について、日頃、主観的に経験していることと、よく合致するはずです。