マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

時間の感覚はクオリアを呈している

 ――“感覚の模型”という概念は、意識の働き――とりわけ、クオリア(qualia)の体験――を考える上では、感覚や“感覚の痕跡”に劣らず、なかなかに大切な概念である。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 この“感覚の模型”という概念は――

 1月30日の『道草日記』で述べた、

 ――心は、脳に生じる“感覚の模型”に「未来」をあてがっている。

 との主張で用いた概念です。

 

 つまり――

 時間の概念の起源を探る上で見すごすことのできない概念として導入したものです。

 

 その“感覚の模型”という概念がクオリアの体験を考える上で大切であるという主張は、

 ――時間の概念とクオリアの体験との間には、何らかの関連性がある。

 という主張に、ほぼ等しいといえましょう。

 

 実は、僕は――

 クオリアの基本的な例として、

 ――時が流れている感じ

 に注目をしています。

 

 ――あぁ。今、時間が経ってるなぁ。

 という漠然とした感覚ですね。

 

 端的にいえば、

 ――時間の感覚はクオリアを呈している。

 ということです。

 

 さらに踏み込んでいえば、

 ――“時間のクオリア”は、様々なクオリアのなかで、最も基本的なクオリアではないか。

 と考えています。

 

 時間を考える上で導入した“感覚の模型”という概念と“意識の働き”を考える上で紹介したクオリアという概念とを、僕が結びつけようとしているのは――

 そうした着想によります。