――あらゆる言説に懐疑の関心を向け、論理的に確認を行う結果、何らかの誤りや綻びを見出し、それら誤りや綻びから示唆を得て、創造的に質問を行う思考
を、
――確認的思考
または、
――懐疑的思考
または、
――質問的思考
と呼びたい――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
以下では、
――懐疑的思考
に統一をしたいと思います。
なぜ「懐疑的思考」に統一をしたいのかというと――
同時に「批判的思考」にも目を向けたいからです。
そうするには、
(「批判的」と同じくらいネガティブな言葉である「懐疑的」がピッタリだ!)
と思ったのですね。
僕も相当に人が悪いようです(笑
……
……
なぜ、
――懐疑的思考
と、
――批判的思考
とを比べたいのかといいますと――
(“懐疑的思考”は、“批判的思考”と違って、最近、日本語圏で、とくに重視をされ始めている)
と、僕が感じるからです。
とりわけ――
日本語圏の高学歴の人たちが、ここ10年くらい、僕のいう“懐疑的思考”の大切さを熱心に説いています――もちろん、そういう人たちが「懐疑的思考」という言葉を用いたりはされませんが――
代わりに、どんな言葉を用いていらしているかというと――
それは、
――質問力
です。
そうです。
僕のいう“懐疑的思考”とは――
いわゆる、
――質問力
の基礎となる思考のことです。
この「質問力」という言葉――
日本語圏では、ここ10年で、かなり有名になっています。
きょうも少し大きめの書店にいったのですが、
――質問力
と名付けられた陳列棚が設置されているのをみました。
(ほお~)
と思いましたね。
それだけ多く「質問力」をテーマに書籍が出版をされている――
ということです。