――日本の学校の教科書は、僕のいう“懐疑的思考”を伝え尽くしている。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
――え? どこに書いてあったの?
と感じられた向きもあるでしょう。
実は――
僕のいう“懐疑的思考”――
つまり、
――理屈を正しく、わかりやすく使う。
や、
――理屈の誤りや綻びを的確に見つけ出す。
ということの実際――
は日本の学校の教科書に明示的に記されているわけではありません。
少なくとも、
――理屈の誤りや綻びを的確に見つけ出す。
ということの実際については――
ほとんど記されていないといってよいでしょう。
記されているのは、
――理屈を正しく、わかりやすく使う。
ということの具体例がほとんどです。
日本の学校の教科書は、
――薄っぺらい
と、よく悪口をいわれます。
僕も、
(たしかに薄っぺらい)
と思います。
掲載をされている情報の量は――
きちんと調べたわけではありませんが――
おそらく諸外国の教科書の平均を下回っているでしょう。
なぜ日本の学校の教科書は、あえて情報の量を絞っているのか。
それは、
――理屈を正しく、わかりやすく使う。
ということの記載に専念をした結果であると――
僕は考えています。
日本の学校の教科書は、読み物としては薄く、ほとんど読み応えはありません。
が、
――理屈を正しく、わかりやすく使う。
ということの具体例として読むと、
(よく書かれているぁ)
と感心をさせられます。
ときには誤魔化しのテクニックも上手に活かしながら――
たしかに、理屈を正しく、わかりやすく使っているのですね。
そのことは――
数学や理科、社会の教科書に顕著です。
例えば――
大学の教養課程くらいの内容を頭に入れた上で――
それと同じ内容を中学校の教科書に求めて読むと、
(ほお~)
と関心をさせられます。
(たしかに理屈は合っている)
と――
その具体例の引用は――色々な意味で面倒くさいので(笑)――あえてしませんが――
とにもかくにも――
――日本の学校の教科書は、僕のいう“懐疑的思考”を伝え尽くしている。
というのは――
そういうことです。