マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“懐疑的思考”が明示的に記されている書籍

 ――日本の学校の教科書は、僕のいう“懐疑的思考”を伝え尽くしている。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――それは少しいいすぎではないか。

 と訝る向きもあるでしょう。

 

 たしかに、

 (いいすぎだ)

 と、僕も思います。

 

 が、

 (あながち的外れではない)

 とも思っています。

 

 どういうことか――

 

 ……

 

 ……

 

 きのうの『道草日記』では、

 ――僕のいう“懐疑的思考”の実際は日本の学校の教科書に明示的に記されているわけではない。

 ということも述べました。

 

 ――“懐疑的思考”の実際

 というのは――

 要するに、

 ――理屈を正しく、わかりやすく使う。

 や、

 ――理屈の誤りや綻びを的確に見つけ出す。

 ということの具体例です。

 

 それら具体例が教科書に――少なくとも明示的には――記されていないのであれば――

 他に何か明示的に記されているものは、ないのでしょうか。

 

 あります。

 

 いわゆる受験勉強に関連した書籍です――問題集や参考書など――

 

 最近では――

 そのような書籍と同様の内容が、インターネットでも数多くみられるようですね。

 

 問題集や参考書には、

 ――理屈を正しく、わかりやすく使う。

 の具体例は、いわゆる問題の解答・解説として記されています。

 

 また、

 ――理屈の誤りや綻びを的確に見つけ出す。

 の具体例は、いわゆる正誤問題の解答・解説として記されています。

 

 いずれも、

 ――これでもか!

 というくらい明示的に記されています。

 

 もちろん――

 その記述の質は、問題集や参考書によって様々です。

 

 なかには、

 (ずいぶん質が悪いなぁ)

 と嘆かずにはいられないものもあります。

 

 が――

 (かなり質が良い!)

 と思わず唸ってしまうものもあります。

 

 いずれにせよ――

 僕のいう“懐疑的思考”の実際が、いわゆる受験勉強に関連した書籍には、かなり豊富に示されているのです。

 

 それら書籍は――

 基本的には――あるいは、少なくとも建前的には――

 日本の学校の教科書に記されている内容に依っています。

 

 根本は――

 すべて教科書です。

 

 そのような意味で、

 ――日本の学校の教科書は、僕のいう“懐疑的思考”を伝え尽くしている。

 というのは――

 必ずしも的外れとはいえません。