マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“懐疑的思考”と“批判的思考”と――受験勉強に絡めて――

 ――僕のいう“懐疑的思考”の実際は、いわゆる受験勉強に関連した書籍に、かなり豊富に示されている。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。 

 

 ここで――

 僕のいう、

 ――懐疑的思考

 と――

 それとは全く異質の思考である、

 ――批判的思考

 との関係を――

 受験勉強に絡めて、示してみます。

 

 受験勉強に絡めることで、

 ――懐疑的思考

 と、

 ――批判的思考

 との違いが、より鮮明になるでしょう。

 

 ……

 

 ……

 

 受験勉強の実態は、

 ――問題集や参考書に載っている問題を解いたり、それら問題の解答や解説を読んだりして、出題者の意図をつかむことによって、物事の理解を深める。

 ということです。

 

 この実態は――

 実は、

 ――懐疑的思考

 の入口に過ぎません。

 

 3日前の『道草日記』で述べたように――

 ――理屈を正しく、わかりやすく使う。

 とか、

 ――理屈の誤りや綻びを的確に見つけ出す。

 とかいったことが、

 ――懐疑的思考

 です。

 

 よって――

 受験勉強に絡めて、

 ――懐疑的思考

 の出口というものを考えるならば――

 それは、

 ――問題集や参考書に載っている問題を解いたり、それら問題の解答や解説を読んだりして、その出題者の使った理屈に誤りや綻びがないかどうかを見極める。

 ということになります。

 

 実際に、受験勉強の指導者は、そのような視点で問題集や参考書をとらえていますし――

 受験勉強に格別に優れた受験生は、そのような観点から問題集や参考書をもちいています。

 

 一方――

 受験勉強を、

 ――批判的思考

 の対象とすることを考えてみましょう。

 

 その場合に――

 ――批判的思考

 の入口は、たぶん、

 ――懐疑的思考

 と同じですが――

 出口は全く違います。

 

 それは、

 ――問題集の参考書に載っている問題を解いたり、その解答や解説を読んだりして、その出題者の意図に何らかの価値を見出せるどうか、あるいは、その出題者の発想に共感を示す人たちがいるかどうかを見極める。

 ということです。

 

 以上のことを踏まえますと――

 受験勉強では、

 ――批判的思考

 が的外れとなることが、よくわかります。

 

 受験生が、出題者の意図や発想を“批判”しても、無益です。

 

 が、

 ――懐疑的思考

 は無益ではないのです。

 

 むしろ――

 受験勉強を徹底的に突き詰めるなら――

 出題者の使った理屈に誤りや綻びがないかどうかを見極めることは、大変に有益です。