――「不安」の反対は「自信」である。
とか、
――厳密には、「不安」の反対は「不穏」であり、この「不穏」は「自信」と類似の感情である。
とかいったことを――
きのう、おとといの『道草日記』で述べました。
考えの基本に据えていたことは、
――怯(ひる)み・勇(いさ)み
の軸です。
――怯み・奮(ふる)い
の軸とも呼びました。
具体的には、
←恐慌―不安―安穏―自信―傲慢→
と記したり、
←恐慌―不安―安穏―不穏―興奮→
と記したりする――
とも述べました。
この考えに基づくと、
自信 ≒ 不穏
および、
傲慢 ≒ 興奮
を得る――
とも述べました。
が――
……
……
一晩おいて考え直した結果、
(なんか違う)
と思い始めましたので――(笑
もう一度――
振り出しに戻りたいと思います。
……
……
一番の違和感は、
自信 ≒ 不穏
です。
これは、
(なんか違う)
と思えることの筆頭でした。
違和感がなくなるように修正をするならば――
それは、
過信 ≒ 不穏
となるでしょう。
よって、
――「不安」の反対は「自信」である。
というのは間違いで――
正しくは、
――「不安」の反対は「過信」である。
です。
同様に、
――厳密には、「不安」の反対は「不穏」であり、この「不穏」は「自信」と類似の感情である。
は、
――厳密には、「不安」の反対は「不穏」であり、この「不穏」は「過信」と類似の感情である。
となります。
よって、
――怯み・勇み
の軸――
あるいは、
――怯み・奮い
の軸は、
←恐慌―不安―安穏―過信―傲慢→
ないしは、
←恐慌―不安―安穏―不穏―興奮→
と記すのがよいでしょう。
さらにいえば――
“怯み・勇み”の軸、ないし“怯み・奮い”の軸を、
←恐慌―不安―安穏―不穏―興奮→
と記すのは、少なくとも字義的には、十分な合理性があるように感じられる一方で、
←恐慌―不安―安穏―過信―傲慢→
と記すのは、少なくとも字義的には、十分な合理性がないように感じられます。
少なくとも、
←〇〇―◇◇―安穏―過信―傲慢→
の「◇◇」には「過信」と対をなす言葉が入り、「〇〇」には「傲慢」と対をなす言葉が入るはずです。
「〇〇」に入るのが「恐慌」で、「◇◇」に入るのが「不安」で――
本当によいでしょうか。
……
……
試みに――
「〇〇」に、
――錯乱
を入れ、
「◇◇」に
――臆病
を入れてみましょう。
すると、
←錯乱―臆病―安穏―過信―傲慢→
を得ます。
……
……
悪くないようです。
が――
ここまで手を入れてしまうと――
「臆病」と「過信」との間に「安穏」があることに違和感を覚えます。
ここに入るのは「安穏」ではなく、
――平静
ではないでしょうか。
つまり――
“怯み・勇み”の軸、ないし“怯み・奮い”の軸は、
←錯乱―臆病―平静―過信―傲慢→
ないし、
←恐慌―不安―安穏―不穏―興奮→
と記すのがよい――
ということになります。