――怯(ひる)み・勇(いさ)み
の軸、ないし、
――怯み・奮(ふる)い
の軸は、
←錯乱―臆病―平静―過信―傲慢→
ないし、
←恐慌―不安―安穏―不穏―興奮→
と記すのがよい――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
この2つの軸の表記は――
同じ感情の異なる側面を表しているにすぎません。
――怯み・勇み
と、
――怯み・奮い
との区別を重くみないのと同じように、
←錯乱―臆病―平静―過信―傲慢→
と、
←恐慌―不安―安穏―不穏―興奮→
との区別も重くはみません。
ここで、
←錯乱―臆病―平静―過信―傲慢→
について――
その構成要素をもう少し細かく記しわけることが可能であることは、自明といえます。
例えば、「平静」と「過信」との間には「自信」が入るでしょう。
同様に、「平静」と「臆病」との間には「心配」が入るでしょう。
よって、
←錯乱―臆病―心配―平静―自信―過信―傲慢→
を得ます。
この精度で、
←恐慌―不安―安穏―不穏―興奮→
を記すと、どうなるでしょうか。
この問いは、具体的には、
――「不安」と「安穏」との境目はどこか。
や、
――「不穏」と「安穏」との境目はどこか。
の問いと同じです。
“不安”にも“不穏”にも様々な程度があります。
ほぼ「安穏」といえる“不安”や“不穏”があれば――
“恐慌”の一歩手前の“不安”や“興奮”の一歩手前の“不穏”もあります。
よって――
さしあたり、
←錯乱―臆病―心配―平静―自信―過信―傲慢→
←恐慌―不安―不安―安穏―不穏―不穏―興奮→
と記すのがよさそうですが――
ここで、以下の疑問が浮かびます。
――「心配」も「臆病」も、ともに「不安」でよいか。
――「自信」も「過信」も、ともに「不穏」でよいか。
という疑問です。
つまり、
心配 ≒ 不安
自信 ≒ 不穏
でよいか――
という疑問です。
……
……
心配 ≒ 不安
のほうは、ともかく、
自信 ≒ 不穏
については、きのうの『道草日記』でも述べたように、どうしても違和感を覚えます。
よって、
←錯乱―臆病―心配―平静―自信―過信―傲慢→
←恐慌―不安―不安―安穏―不穏―不穏―興奮→
ではなく、
←錯乱―臆病―心配―平静―自信―過信―傲慢→
←恐慌―不安―安穏―安穏―安穏―不穏―興奮→
と記すのがよいのではないか――
つまり、
――「不安」や「不穏」の部分を長くとるのではなく、「安穏」の部分を長くとるのがよいのではないか。
ということになります。