マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

豊臣秀吉は喜気の強い人物であったのではないか

 16世紀終盤の日本が中国の全土を支配下に収めようとしたのは――

 当時の政権の長・豊臣秀吉の個性によるところが大きかったといえる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そして――

 その「個性」とは、

 ――モウロク

 とか、

 ――誇大妄想

 とかいった言葉で片付けるべきことではない――

 ということも、述べました。

 

 では――

 その「個性」とは、具体的には何なのか――

 

 ……

 

 ……

 

 僕は、

 ――喜気

 だと考えています。

 

 ――豊臣秀吉は喜気の強い人物であったのではないか。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 ――喜気

 というのは――

 2020年9月11日の『道草日記』で触れた「喜気」です。

 

 ――晴れ晴れとした気分

 あるいは、

 ――軽躁に近い平気

 のことです。

 

 ――軽躁

 というのは――

 2020年9月10日の『道草日記』で紹介をしています。

 

 いわゆる気分が病的に高揚をする際に――

 重いものを、

 ――躁

 と呼び――

 軽いものを、

 ――軽躁

 と呼びます。

 

 よって、

 ――喜気

 は、

 ――気分の病的な高揚の一歩手前

 という意味です。

 

 気分が病的に高揚をすると――

 思考の速さが高まるということが知られています。

 

 その結果――

 ものすごく先々のことまで考えてしまう――

 

 ……

 

 ……

 

 ――豊臣秀吉は喜気が強かったので、思考の速さが尋常でなく、つい300年くらい先のことまで考えてしまった。

 それが、

 ――豊臣秀吉の個性によるところが大きかった。

 の内実です。

 

 ちなみに――

 当時の豊臣秀吉の側近たちの多くも、喜気が強かったのだと思います。

 

 よって――

 豊臣秀吉の個性を円滑に受け入れ、実践に移していった――

 そのように考えることができます。

 

 もし――

 側近たちのほとんどが喜気の強くない人物であったなら――

 豊臣秀吉による朝鮮出兵は見送られていたでしょう。

 

 それだけではなく――

 豊臣秀吉の試みを実力行使で制したかもしれません。

 

 ――暗殺

 ないし、

 ――謀反

 という名の実力行使です。