マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

織田信長と豊臣秀吉――日本人らしいのは?

 豊臣秀吉による朝鮮出兵のことを述べているつもりが――

 いつの間にか織田信長のことを述べていました。

 

 なぜ織田信長のことを述べたくなったかというと――

 

 4日前の『道草日記』で、

 ――豊臣秀吉だけでなく、その側近たちの多くも、喜気の強い人物であったろう。

 と述べたからです。

 

 もし、豊臣秀吉の側近たちの多くが、喜気の強くない人物であったなら――

 豊臣秀吉朝鮮出兵を本気で試みたときに、実力で阻止をしたかもしれない――

 と述べたりもしました。

 

 具体的には、

 ――謀叛

 や、

 ――暗殺

 の形をとったであろう、とも――

 

 ……

 

 ……

 

 これを述べたときに、僕の念頭にあったのは、

 ――本能寺の変

 です。

 

 織田信長は、僅かな兵で京の本能寺に宿泊をしていて明智光秀の軍勢に急襲をされ、生涯を閉じました。

 まさに、

 ――謀叛

 ないし、

 ――暗殺

 の遭ったわけです。

 

 僕は、明智光秀は、

 ――喜気が強くなかった。

 と考えています。

 むしろ、

 ――“憂気”が強かった。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 3日前の『道草日記』で述べたように――

 喜気の強い人物と“憂気”の強い人物とは、相性が悪いのですね。

 

 織田信長明智光秀との相性も、かなり悪かったはず、と――

 僕は考えています。

 

 さらにいえば――

 織田信長は喜気が強いだけでなく――

 勇みやすい性格でもあった――

 

 よって――

 明智光秀との相性が悪いことをあらかじめ感じとってはいても――

 それを重くみることはなかった――

 

 ――まあ、何とかなるだろう。

 と思っていた――

 

 (そんな主君に愛想をつかしたのが、明智光秀ではなかったか)

 そう僕は思うのです。

 

 一方――

 豊臣秀吉は、とくに勇みやすい性格ではなかったので――

 織田信長のような油断はしなかった――

 

 側近はもちろんのこと、軍勢を動かしうる有力な家来のなかに、自分と相性の悪い人物をみつけたら――つまり、“憂気”の強い人物をみつけたら――

 即座に警戒をしたはずです。

 

 豊臣秀吉は、

 ――明の都を本気で目指す。

 という破天荒で熱狂的な企てに邁進をした人物でした。

 そのせいで、死ななくてもよかった人たちが数多く亡くなりました。

 豊臣秀吉を恨んだ人たちも少なくなかったでしょう。

 

 そうでありながら――

 豊臣秀吉は病床で天寿を全うしたのです――織田信長のような頓死をしませんでした。

 

 これは注目に値することです。

 

 その理由を、僕は豊臣秀吉の性格に見出したいと思っています。

 

 豊臣秀吉は、

 ――とくに勇みやすくはなかった。

 というより、むしろ、

 ――少し怯みやすかった。

 と考えています。

 

 それゆえに――

 織田信長にはなかった慎重さを備えていた、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ――怯みやすい

 というのは――

 いい方を変えれば、

 ――不安を感じやすい。

 ということです。

 

 2019年5月11日の『道草日記』で、

 ――日本人は不安を感じやすい体質らしい。

 と述べました。

 

 その意味で、

 ――豊臣秀吉は日本人らしかった。

 といえるのです。

 

 逆に、

 ――織田信長は日本人らしくなかった。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 きのうの『道草日記』で――

 織田信長豊臣秀吉との共通点・相違点を挙げましたが――

 相違点については、

 ――日本人らしさの程度が違う。

 ともいえます。