――ケレン味がある。
という誉め言葉は好きだが、
――ケレン味がない。
という貶(けな)し言葉は嫌いだ――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
こう述べると、
「ケレン味がある」= 誉め言葉
「ケレン味がない」= 貶し言葉
の図式が成り立つようですが――
そうではありません。
たしかに――
芸事に関しては――
だいたい上記の図式で間違いはありませんが――
ひとたび芸事から離れると――
誉め言葉になっている「ケレン味がない」や貶し言葉になっている「ケレン味がある」というのも――
あるのですね。
なぜか――
芸事を離れたら、
――ケレン味
ないし、
――外連(けれん)
は、たいていは悪い意味でとられるからです。
――ハッタリ
や、
――誤魔化し
といった意味ですね。
要するに、
――ケレン味
や、
――外連
を――
良い意味でとらえるならば、
「ケレン味がある」= 誉め言葉
「ケレン味がない」= 貶し言葉
であり――
悪い意味でとらえるならば、
「ケレン味がある」= 貶し言葉
「ケレン味がない」= 誉め言葉
であるのですね。
その「ケレン味」が、どれに該当をするかは――
文脈で判断をする必要があります。
……
……
きょうは2021年の3月11日ですね。
東日本大震災から、ちょうど10年です。
報道機関を中心に、さまざまな追悼企画が実施されています。
……
……
それら追悼企画に、
――ケレン味
や、
――外連
は要りませんね。
良い意味であろうが悪い意味であろうが――
とにかく、
――ケレン味
も、
――外連
も要らない――
震災それ自体が、すでに十分すぎるくらいのケレン味や外連を施されたかのように常軌を逸していました。
だから――
今さらケレン味や外連を人の浅知恵で施す必要はないのです。
本当に、そう思います。