マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“汎憂受容”のセンス

 ――“持続可能な開発目標”は医学・医療の発想を抜きにしては語れない。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ――持続可能な開発目標

 とは――

 要は、

 ――汎憂受容(はんゆうじゅよう)

 のことであり――

 

 それがよくわかるには、

 ――汎症受忍(はんしょうじゅにん)

 がよくわかっている必要があるからです。

 

 ……

 

 ……

 

 医療の現場に10年もいると――

 気づくことがあります。

 

 それは、

 ――汎症受忍

 を苦も無く成し遂げられる人たちがいる一方で――

 いつまで経っても成し遂げられない人たちがいる――

 ということです。

 

 おそらく、

 ――汎症受忍

 を成し遂げるには、

 ――先天的な資質

 が必要なのです。

 

 もう少し砕けたいい方をすれば、

 ――センス

 ですね。

 

 ――汎症受忍

 には、

 ――センス

 が要る――

 

 とりわけ、

 ――汎症受忍

 を、

 ――我がごと

 として成し遂げることに、

 ――センス

 が要る――

 

 ……

 

 ……

 

 実は、

 ――他人ごと

 なら、

 ――汎症受忍

 は、まったく難しくはないのです。

 

 ……

 

 ……

 

 おそらく、

 ――汎憂受容

 も同じです。

 

 この世には、

 ――汎憂受容

 のことをすぐにわかる人たちと――

 そうでない人たちとがいるでしょう。

 

 とくに、

 ――他人ごと

 としてではなく、

 ――我がごと

 として、

 ――汎憂受容

 成し遂げる、ということに関し――

 難なくできる人たち、そうでない人たちとがいる――

 

 ……

 

 ……

 

 しばしば、

 ――“持続可能な開発目標”では「何をするのか」が大切なのではない。「なぜ、するのか」が大切なのだ。

 といわれます。

 

 ――なぜ、するのか。

 が、わかれば、

 ――何をするのか。

 は自ずと決まります。

 

 あるいは、

 ――なぜ、するのか。

 が、わかれば、

 ――何をするのか。

 は些末的な問題となります。

 

 このことがすぐにわかるかどうか――

 

 それが、

 ――“汎憂受容”のセンス

 です。