――汎症受忍(はんしょうじゅにん)
や、
――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)
は、重要で現実的な発想ではあるが――
平凡で面白くはない発想であり――
――汎症根治(はんしょうこんち)
や、
――汎憂根絶(はんゆうこんぜつ)
は、非凡で面白い発想ではあるが――
非現実的で重要ではない発想である――
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
……
……
そもそも――
発想というものは――
たいていは――
重要で現実的なら、平凡で面白くなく――
非凡で面白いなら、非現実的で重要でない――
といえるのですが――
なかには――
重要で現実的であり、かつ非凡で面白い――
といえる発想もあるのです。
その典型が――
6月6日の『道草日記』で触れた、
――フェルミの逆説(Fermi paradox)
でしょう。
曰く、
――宇宙の寿命の長さと恒星の個数の膨大さとを考えたときに、我々以外にも知的生命体が存在をしていないはずはなさそうなのに、なぜ我々は彼らに出会えていないのか。
との疑問です。
この疑問への答えは――
大きく分けて3つです。
1)我々以外の知的生命体は既に地球に到達をしていて、我々に出会っているが、その事実を我々は知らない。
2)我々以外の知的生命体は存在をしているが、地球には到達をしていないために、我々には出会えていない。
3)我々以外の知的生命体は存在をしていないために、我々には出会いようがない。
1)には宇宙活劇的な面白さがあり――
3)には自然科学的な面白さがあります。
2)については、
――どちらの面白さもある。
といってよいでしょう。
よって――
とにかく、
――フェルミの逆説
は面白い――
非凡な逆説であるから――
面白いのです。
……
……
非凡で面白いだけではありません。
わりと現実的でもあります。
それは――
もし、僕ら以外の知的生命体が存在をしているのなら、彼らへの対応を間違えると、僕ら自身の生存が脅かされかねない――
という意味で――
現実的なのです。
人の歴史は、進度の遅い文明が進度の速い文明を迎えたときに、どんな悲劇に見舞われたかを、詳細に伝えています。
僕らが、この地球で、僕ら以外の知的生命体を迎えるときに、どんな悲劇に見舞われるかは、火を見るよりも明らかといえます。
そして、
――「生存が脅かされる」との悲劇に見舞われる。
であれば――
それは、十分に現実的でもあります。