マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「我々以外の知的生命体は存在をしていない」といえるかどうかの検討に主導的に関わっている領域は?

 ――「我々以外の知的生命体は存在をしていない」といえるかどうかの検討は、抜群に面白い。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 その理由は、

 ――物理学

 ――生物学

 ――化学

 ――地学

 の4つの領域の素養が、混然一体となって求められている、という点にある――

 ということも、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 もう少し、ありていにいえば、

 ――「我々以外の知的生命体は存在をしていない」といえるかどうかの検討は、物理学だけでも、生物学だけでも、化学だけでも、地学だけでも、不可能である。

 ということです。

 

 ただし――

 これら4つの領域が、この、

 ――「我々以外の知的生命体は存在をしていない」といえるかどうかの検討

 に等しく関わっているかというと――

 そうではありません。

 

 この検討に主導的に関わっている領域が1つあって――

 それは、

 ――物理学

 です。

 

 きのうの『道草日記』で、

 ――物理学とは、物体に関わる原理を明らかにする学問である。

 と述べました。

 

 この、

 ――物体

 という概念が物理学の特性を端的に決めているように――

 僕には思えます。

 

 生物も地球も物体です。

 

 そして――

 生物も地球も物質から成り立っている物体です。

 

 生物とか地球とか物質とかを所与の対象とみなさずに――

 ひたすら愚直に、

 ――物体とは何か。

 と問う姿勢が、

 ――物理学

 の根底にある、と――

 僕は考えています。

 

 そうした問いの過程で、

 ――物体と時間・空間との違いは何か。

 とか、

 ――物体を物体たらしめている原理は何か。

 とかいった問いが生まれ――

 現代物理学は、見かけ上、物体などは、もはや扱っていないように思えます。

 

 が――

 そんなことはありません。

 

 少なくとも――

 現代物理学は、物体としての生物――つまり、生命体――を十分には扱いきれていません。

 

 当然のことながら、

 ――知的生命体

 については、ほとんど全くといってよいほどに、扱えていません。

 

 そうした現実を、

 ――「我々以外の知的生命体は存在をしていない」といえるかどうかの検討

 は呼び覚ましてくれるのです。

 

 それゆえに――

 この検討に、より強く惹かれているのは、物理学の素養の豊かな人たちであるように――

 僕には思えます。