マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“フェルミの逆説”の議論が収斂をしていくところ

 ――フェルミの逆説(Fermi paradox)

 つまり、

 ――宇宙の寿命の長さと恒星の個数の膨大さとを考えたときに、我々以外にも知的生命体が存在をしていないはずはなさそうなのに、なぜ我々は彼らに出会えていないのか。

 との疑問に対し――

 以下の3つの答え、

 

 1)我々以外の知的生命体は既に地球に到達をしていて、我々に出会っているが、その事実を我々は知らない。

 2)我々以外の知的生命体は存在をしているが、地球には到達をしていないために、我々には出会えていない。

 3)我々以外の知的生命体は存在をしていないために、我々には出会いようがない。

 

 があることは――

 6月17日の『道草日記』で述べました。

 

 少し注意深く考えれば、すぐにわかるように――

 これら3つの答えのうち、

 ――フェルミの逆説

 を「逆説」と認め――

 その矛盾を解こうとしているのは――

 実は、1)2)だけです。

 

 3)は、

 ――“フェルミの逆説”は逆説ではない。

 と主張をしています。

 

 つまり、

 ――たとえ、宇宙の寿命の長さや恒星の個数の膨大さを考えたとしても、我々以外には知的生命体は存在をしていそうにない。

 という主張です。

 

 6月22日の『道草日記』で述べたように、

――この宇宙に知的生命体が存在をする期待値が 1 を有意に下回るならば、「我々以外の知的生命体は存在をしない」といえる。

 と考えることができます。 

 ここでいう「期待値」とは、

 ――この宇宙において知的生命体が誕生をする確率と知的生命体が生存をしうる惑星の個数との積

 です。

 

 ――フェルミの逆説

 を、

 ――逆説

 として成り立たせるには、

 ――この宇宙において知的生命体が存在をしうる惑星の個数

 が、

 ――この宇宙において知的生命体が誕生をする確率

 と比べ、十分に大きな値をとる、といえることが必要です。

 

 ――フェルミの逆説

 の答えの 1)2)は――

 そうした見解に依っています。

 

 が――

 当然のことながら、

 ――この宇宙において知的生命体が誕生をする確率

 が、

 ――この宇宙において知的生命体が存在をしうる惑星の個数

 と比べ、十分に小さな値をとる、といえれば、

 ――フェルミの逆説

 は、

 ――逆説

 ではなくなります。

 

 ――フェルミの逆説

 を巡る議論は――

 結局は、

 ――この宇宙において知的生命体が誕生をする確率

 と、

 ――この宇宙において知的生命体が存在をしうる惑星の個数

 とを、どれくらいに見積もるのがよいのか――

 という考察に収斂をしていくのです。