マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

筋を通して戦争を挑む者と筋を曲げて戦争を避ける者との闘い

 ――戦争を望む者と望まない者との闘い

 について――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 一方――

 おとといの『道草日記』では、

 ――筋を通して戦争を挑むか、筋を曲げて戦争を避けるか。

 ということを述べました。

 

 これら2つのことを併せると、

 ――戦争を望む者は筋を通し、戦争を望まないものは筋を曲げる。

 ということです。

 

 つまり、

 ――戦争を望む者と望まない者との闘い

 は、

 ――筋を通す者と通さない者との闘い

 でもあるのです。

 

 この闘いは――

 複雑ですね。

 

 まったく単純ではありません。

 

 ――筋を通して戦争を望む者

 は、

 ――筋を通す

 という点で、人々の共感を得る一方で、

 ――戦争を望む

 という点で、人々の共感を失うでしょう。

 

 また、

 ――筋を曲げて戦争を望まない者

 は、

 ――筋を曲げる

 という点で、人々の共感を失う一方で、

 ――戦争を望まない

 という点で、人々の共感を得るでしょう。

 

 つまり、

 ――戦争を望む者と望まない者との闘い

 というのは、

 ――筋を通して戦争を挑む者と筋を曲げて戦争を避ける者との闘い

 であり――

 この闘いは、実は、とんでもなく不毛なのかもしれません。

 

 ……

 

 ……

 

 今回のロシア政府によるウクライナ侵攻について――

 日本の一部の識者が、ウクライナ政府に降伏を勧めました。

 

 当然ながら――

 それを知った一部のウクライナの人々は、激怒をしています。

 

 ――外国人の立場で気やすく降伏を勧めるな。

 との反発です。

 

 (たしかに、その通り――)

 と、僕も思います。

 

 が――

 人命を第一に考えて厭戦を説く日本の一部の識者の気持ちも――

 僕にはわかります。

 

 (人命は、ひとたび失われたら、決して戻らない)

 と思うからです。

 

 この対立は――

 僕にいわせると、

 ――筋を通して戦争を挑む者と筋を曲げて戦争を避ける者との闘い

 の典型です。