今回のロシア政府によるウクライナ侵攻の報道に接し――
痛切に思うことは、
――やはり世界政府は必要だ。
という見解です。
この場合の、
――世界政府
とは、
――世界中の人々が等しく世界市民となって一つの統治機関を支えていく。
といった、
――世界政府の理想形
ではなくて、
――軍事力を背景に世界の秩序を保っていく国際機関を各国が受け入れていく
といった、
――世界政府の現実形
です。
世界の諸国家の多数派が常に最強の軍事力を握ることで、世界の秩序が保たれていく――
その軍事力は、さながら、
――国家間の警察権
の体を成すでしょう。
その“軍事力”には、場合によっては、核兵器の威力が含まれてもよい――たしかに、核兵器は非人道的な兵器であることに違いはないが、もし、世界政府の軍事組織だけが核兵器をもつようになるならば――
そうした“非人道的な兵器”にも、例えば、警官が拳銃をもつような意義を、見出すことができるであろう――
そういう見解です。
このような発想は昔からありました。
1990年代には、既に青年向けの人気漫画雑誌の作品で主題として取り上げられていました。
この頃までには、多くの人たちが漠然と思い描いていた、
――世界政府の現実形
であったことでしょう。
ところが――
少なくとも1990年代には――
こうした発想は、どこか、
――絵空事
と一笑に付されていました。
――世界の諸国家から独立をしている国際機関
の実在性が、どうにも疑われてしまったからです。
今は違います。
インターネットが世界の隅々に普及をし――
世界の諸国家に固有の経済圏から独立をしている国際企業の数々を見知ってしまっている現代の僕らにとっては――
その実在性は、それほど疑わしいものではありません。
――企業でできてるんだから、国家でもできるだろう。
という素朴な直感です。
これが1990年代には、たしかに、ありませんでした。